秋元神社:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字向山6781

 

六年前、秋も深まった11月中旬。高千穂神社の傍に宿をとっていた僕は、国見ケ丘に雲海を見に行く予定を急遽変更して、秋元神社を訪れた。当日の朝は曇っていたということもあるのだが、なんだかこの神社に呼ばれているような気がしたのだ。こうした話はよくあって、沖縄至高の聖地とされる久高島、天河大辨財天社、十津川の玉置神社あたりが代表格だが、要は「縁」と「運」の話。これらを司るのは神様だからそういわれるのだろう。

 

しかし、秋元神社までのアクセスはよくない。町中の高千穂神社から13km、車で30分程度はかかる。グーグルマップで確認しても細い道はイメージしづらく、心許ないので検索してみると高千穂観光協会の秋元神社紹介ページに「秋元散策マップ」なるリンクが貼ってあった。「お、これなら大丈夫」と宿を出発した。

途中から一本道となるのでほぼ迷わない。集落の目印の水車小屋を過ぎ、坂を上がっていく。道はどんどん細くなり、車一台がやっと通れるほどに。最後は急坂だ。馬力のない軽自動車ゆえローギアでアクセルを目いっぱい踏み込む。と、平らけた場所に出た。鳥居が見える。秋元神社だ。車を停める。すでに参拝者の車が一台。案内板があって由緒が記されている。

水車小屋

 

秋元神社

建磐龍命が諸塚大白山復(ママ)に創建し

一六八三年現在地に創立される。

太白大明神又太子神と称し、村人の

氏神様として祭られる。

明治四年(一八七二年)に秋元神社と改称し

村人をはじめ、県・内外より多くの方々により信仰されています。

案内板はこの後に続けて御神木、御神水や祭神三柱(国常立命、国狭槌命、豊斟淳命)のことに触れているが、これは明治四年以降の付会かと思われる。当社の起りを知る手掛かりは、創祀時の祭神だけである。まず、建磐龍命だ。延喜式では健磐龍命神社、すなわち阿蘇神社の祭神とされ、日本書紀、肥後国風土記では阿蘇津彦・阿蘇津媛とされる。高千穂は現在の行政区分では宮崎県に属するが、地理的には阿蘇山に近いこともあり、中世には阿蘇神社を奉祀する菊池氏の分家、甲斐氏が当地を治めていた。一方、太白大明神の「太白」は中国の金星の異名で、陰陽道の影響を受け、神格化して方位神(大将軍)となったものだ。当社の社殿は神社では珍しく鬼門(北東)を向いており、これが近年パワースポットとされる一つの理由なのだが、秋元神社は諸塚山(異称、大白山)と呼ばれる山の中腹にある。この山は、高千穂郷の中心地・三田井から見ると、宵の明星(=大白星)が輝く山であり、冬には山頂を覆う雪で真っ白に光ることに由来するという。(*1)  ということは、鬼門というよりも金星を向いているとした方がよいのかもしれない。この諸塚山だが、山頂付近に多くの塚があることからついた名前といわれ、かつては修験の山でもあったらしい。

 

というわけで、車を下りて手水をつかい、参拝に向かう。晩秋。山の朝。空気は研ぎ澄まされ、肌が痛いほどだ。階段を登っていくと木造の鳥居。その先に最近出来たと思われる白木の社殿がある。脇の御神水であらためて清め祓い、妻入りの拝殿の中に入って参拝する。木彫の小さな神像が左右に二体。高千穂らしく、微笑ましい姿だ。社殿が新しいこともあるのだろうか、記紀神話に連なる由緒のある社とは印象が異なり、近くの幣立神社のようないかがわしさはないものの、民間信仰を寄せ集めたような素朴な感じがする。拝殿を出ると隣に神楽殿。もうじき夜神楽がはじまるのだろう。中を覗くと支度がしてあった。

 

 

神木の銀杏を仰ぎ見て視線を左手の山腹に移すと、植林された杉木立の中に黒々とした山の岩肌、そして巨巌が見えた。諸塚山は阿蘇や英彦山を拠点とした山岳修験の行場だったということがこれで納得出来る。この日は帰京する日で時間がなかったこともあり、山あいを歩くことはしなかったが、山肌には龍穴もあるらしい。高千穂神社に残る神名帳によれば、諸塚山は禅定の地であり、山頂には池もあるという。そして、人間は近寄らずとされている。(*2) 

やはり、ここは聖地なのだ。聖地の条件はいろいろあると思うが、その地に暮らす人間にとって際立った意味を持つ、かけがえのない場所であることは確かだろう。当地の聖性の源は「水」ではないかと思われるが、それ以上に気になるのは諸塚山の「塚」だ。「塚」は「墓」でもある。かつて祖先を山に葬ったことからはじまった山岳信仰、修験道と関わりがあった可能性は高い。明治初年の神仏判然令に続き、明治五年には修験禁止令が発布されている。その前年、明治四年に太白大明神社から秋元神社に改称したということは、その証左ではないか。

 

秋元神社が今日まで「てっ様」と愛称されている由縁は何だろうか。これだけは、いくら資料を当たれど不明だ。どなたかおわかりになる方がいらっしゃればご教示いただきたいところだが、もう一度当社を訪れて、秋元集落の古老の話でも伺ってみたいものである。

 

(2014年11月16日)

 

参考

*1 高千穂観光協会ホームページ

http://takachiho-kanko.info/sightseeing/detail.php?log=1337319420

*2 みやざきの神話と伝承101 ㉖「諸塚山」と「童子」

https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/026.html

「神々の坐す里 高千穂の神社」一般社団法人 高千穂観光協会 2007年