富士山元宮 山宮浅間神社:静岡県富士宮市山宮740番地
「アサマ」ということばは、古くは火山を表わしていたとどこかの本で読んだ。たしかに日本の代表的な火山には、音の変化は伴うものの浅間山、阿蘇山、朝日岳、旭岳などこれを思わせるものがある。富士山も大噴火で夙に知られる火山だが、この山を中心として幾重にも周りを囲む神社には「浅間」を冠する神社が実に多い。(現在そのほとんどは「センゲン」と読まれているが、なぜかはよくわからない)
富士山の西南麓、静岡の富士宮には全国に1,300余りある浅間神社の総本社にあたる富士山本宮浅間大社が坐す。当社の元宮とされているのが、山宮浅間神社だ。柳田國男が「山宮考」に記したように、ここには最初から社殿はない。富士山を遥拝するためにのみ設えられた場所である。
長い参道を歩く。二の鳥居の先の両側には石灯籠が立ち並ぶ。神門のような建物が見える。地元の老婦人が二人。世間話でもしているのだろうか。軽く会釈をして神域に入る。長屋門のような神門は籠屋といい、祭儀を執り行った大宮司以下の神職や社僧が一夜参籠した所だ。現在の籠屋は昭和8年に建てられたもので、それ以前の籠屋の実態は不明とされ、祭儀の際に仮屋が建てられた可能性があるという。(*1) 諏訪大社上社前宮にある十間廊を思う。
籠屋を抜けてすぐのところに、磐座のような石がある。山宮御神幸で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石」だ。さらに参道を進と遙拝所に続く石段の手前にも同様の石が置かれている。山宮御神幸とは、浅間神が里宮と山宮を往来する神事で、春と秋に神輿の代わりに神鉾を捧げて渡御を行っていた。山宮御神幸の道には、元禄4年(1691)に1町毎に標石が置かれたという。明治7年(1874)以降は行われなくなり、標石の大半も失われているため、現在正確な道筋は不明とされている。(*1) 因みに里宮にあたる富士山本宮浅間大社の楼門の前にも鉾立石がある。鉾立石は神輿でいう御旅所と同じ機能を持つのだ。神も旅をすればしばしば疲れて休むというところが面白い。
不意に足元が覚束なくなり、軽くめまいを覚えた。当日の僕の体調はすこぶるよく、この場が有するなにかが災いしたのだろうと思った。他の聖地でも何度か同様の感覚を覚えた経験があるのだが、あながち神の仕業ともいえない。
瑞牆の外には火山弾の盛り土。磁気を帯びているのか。
富士山周辺はよく磁石が狂うというが、磁場に関係があるのかと調べてみたところ、たしかに顕著な地磁気異常が認められる。気圧がそうであるように、磁気や重力の異常が感覚や意識の変性をもたらすとすれば、これらは聖地の所在と関係があるように思う。今年(2019年3月)、東京大学と米カリフォルニア工科大などの共同研究チームは、人間に地磁気を感じ取る能力があることを明らかにした。産経新聞によれば「地磁気を感じる『磁覚』は渡り鳥のほかサケやミツバチなど多くの動物が持っており、人間も以前は持っていたが退化したとみられている。ただ、人体には磁気を感じ取る働きがあるとされるミネラルやタンパク質が多くあることから、利用できなくても感じ取る力は残っていたらしい」(*2)とのことだ。聖地でなにを感じ取るかはその人の感受性次第だが、それは五感の外側にある感覚なのかもしれない。
色の濃い部分が磁気異常を示す。(*3)
祭神は、もちろん木花佐久夜毘売である。別称「浅間大神」とされているが、当初は人格神ではなく、火を吐く山そのものであった筈だ。少し長くなるが、由緒を振り返っておこう。「『富士本宮浅間社記』によれば、孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。(中略)日本武尊が東国の夷を征伐するため駿河国を通られた際、賊徒の野火に遭われました。尊は、富士浅間大神を祈念して窮地を脱し、その賊徒を征伐されました。その後、尊は山宮において篤く浅間大神を祀られたと伝えられています。大同元年(806)坂上田村麿は平城天皇の勅命を奉じ、現在の大宮の地に壮大な社殿を造営し、山宮から遷座されました。富士山の神水の湧く地が御神徳を宣揚するのに最もふさわしかった為ではないかと考えられます。(*4 傍線筆者)
記紀をなぞった社伝にならざるを得ないと思うが、僕が気になったのは「水」だ。木花佐久夜毘売の「水徳」とはなんなのか。まさか火消しの水ではあるまい。折口信夫は「ふちは水の神の称号の語尾であり、同時に水の神に奉仕する人の称号であり、又、転じて聖水を以て禊ぎを行ふ場所の名となって、それが普通感じてゐる様な淵といふ地形を表す言葉となったのである」と述べているが、民俗学者の野本寛一氏はこれを受け、富士山本宮浅間大社にある「湧玉池」に注目し、以下のように考証している。「『湧玉』はいうまでもなく『湧く霊(たま)』の意であり、その水口を『神立山(かみたちやま』と呼んでいる。『神立』は『神顕ち(たち)』で神の顕現を意味する。ここに顕現する神はまさに『水神』である。(中略)富士はまず『富知』として、古代農耕とかかわりの深い水神として崇拝されていたものと考えてよかろう」(*5)「水」と「神」のかかわりには深いものがある。山宮浅間神社の後に訪れた湧玉池は、いまも清浄な水を湛えていた。
(2015年4月18日)
(出典・参考)
*1富士宮市ホームページ
http://www.city.fujinomiya.lg.jp/sp/fujisan/llti2b0000001lot.html
*2産経新聞
https://www.sankei.com/life/news/190319/lif1903190018-n1.html
*3
「関東地方の重力・磁気異常の分布と特徴」中井順二・駒沢正夫・大久保泰邦
地学雑誌 96-4 (1987) P13~28
引用図:P26 第10図 関東地方 空中磁気図 (IGRF 残差磁気異常図)
*4富士山本宮浅間大社ホームページ
http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html
*5
「日本の神々-神社と聖地-第10巻 東海」谷川健一編 白水社 1987年より
「富士山本宮浅間大社」の項 野本寛一著 P205〜P209