大主神社(大主御嶽・ウパルズオン):沖縄県宮古島市平良池間45

※当社に関する写真、動画の類は掲載していません。本文の内容からお察しください。


聖地に赴くと、後ろから誰かがついてくる気配を感じたり、不思議な写真が撮れてしまったり、森の中に巨大ななにかが潜んでいるのを感じたりすることがある。こうしたことを書くことにいささか衒いもあるのだが、番外編として記しておこう。


僕自身にいわゆる霊感というものは備わっていない(と思う)。ただ、目に見えないものをそれとなく感じることは昔からあった。たとえば四歳の頃、僕は自宅の庭でいつもひとりで誰かと話していた。不審に思った母が尋ねてみると、同年代の男の子の友達と答え、その子の名前を告げたという。僕には今もこの頃の記憶が残っている。幼稚園に入園する前にできた、初めての友達だったからだろう。彼の名前は忘れてしまったが、顔の輪郭、ややずんぐりした体躯は、当時の家の縁側や、物干し竿のある狭い庭の風景の中で、未だに近しい者の手触りとして生きている。


五年前に聖地巡りをはじめる以前は、琉球弧の島々への旅のついでに御嶽や拝所を巡っていた。宮古島でよく泊まったホテル共和の前には、島の創世神を祀る漲水御嶽があった。この島を代表する聖地だが、その佇まいは小さい。当時の拝殿は薄いコンクリートで出来ていたこともあり、あまりの素朴さに拍子抜けしたことを思い出す。平良市街で一杯やった帰りに参拝し、記念に写真を撮った。現像してみると、漲水御嶽で撮影した写真だけが、全てハレーションを起こしていて、色とりどりの光の交錯のほかには殆どなにも写っていなかった。カメラの具合では説明のつかないサイケデリックな写真だった。宮古島は琉球弧の中でもっとも神さびた島のひとつで、この島で起こる不思議としては序の口ではないかと思う。


さて、本題だ。宮古島の北に位置する池間島での話をしておこう。かつてはカツオ漁でたいへん栄えた島である。宮古群島の中でも大神島と並んでとりわけ神高い島で、ミャークヅツ(宮古節)の祭や、独特の節回しを持つ民謡でもよく知られる。(ミュージシャン、久保田麻琴はこの島で民謡を採録。CDやドキュメンタリーフィルムとして公開もされている)


この島に、ウパルズ御嶽(大主神社)と呼ばれる聖地がある。聖域ナナムイ(七森)の中心を為す御嶽だ。訪れたのは盛夏で、ヤビジ(八重干瀬)でシュノーケリングを楽しんだ後、集落の中を歩いていて、ふとこの聖地のことを思い出したのだ。と言っても、手元の地図ではその場所が今ひとつはっきりしない。人気のない集落の中をうろうろしていると手押し車を押していく老婆に出会った。大主神社を尋ねたが、よくわからないという態だ。だが「ウパルズ」という名を発した途端、彼女の形相がみるみる内に険しくなり、ミャークフツ(宮古方言)でなにやら大声で喚きはじめた。言葉はさっぱりわからなかったが、よそ者が島の至高の聖地に入ることに対してあらん限りの警鐘を鳴らしているようで、その剣幕に僕は思わず後ずさりした。「この島にとても霊験あらたかな神様がいらっしゃるとお聞きしたので、せめて手だけも合わせておこうと思っているのですが」と言うと、それなら、と頷いて片手で後方をを指差した。随分と歩き回ったのだが、そこは老婆と僕のいるすぐ後ろの森で、少し歩いていくとそこには石造りの立派な鳥居が海を向いて立っていたのだった。


鳥居の左脇には、漁師の家と思しき平屋が立っていて、家の中からNHKののど自慢が聞こえてくる。夏の午後。集落に吹く穏やかな風。長閑な時間が流れている。この森の中はいったいどんな空間なのだろうと好奇心が頭を擡げ、僕は鳥居をくぐることにした。参道にはごつごつとした小ぶりの白石が敷き詰められている。両脇から絡みつくように南島の低い灌木が枝葉を伸ばしてくる。二の鳥居が見えたところで、痩せた白猫が不意に参道に飛び出してきた。背筋と尻尾をピンと伸ばし、僕の先を行く。時々止まってこちらを振り返る。目が合うとまた前方を向いて歩き出す。ちゃんと後をついて来ているのかを確認しているかのようだ。その様子はこの森に坐す神の眷属のように見えた。


ふと気づくと、白猫がいない。参道から目を上げるとそこには三の鳥居(石門だったかもしれない。うろ覚えで鳥居があったのかどうかは定かではない)  、その先は小高くなっていて、御嶽の殆どがそうであるようにイベ(注1)に白砂が敷き詰めてある。そして、その白砂には夥しい数の黒い香炉が埋まっていた。その光景だけで、ここで深い祈りが捧げられていることが知れる。左右にコンクリートの拝所、奥にはソテツの古木の下に古い石積みがあり、その先に深い森が広がっていた。 


その時だ。森全体が巨大な生き物に見えた。こちらを睨めつけている。南の島の夏の午後。射るような陽射し。蝉の声。足元が竦んでしまって、先に進めない。「この空間にいるべきではない」と直感する。巨大ななにかがこちらに迫ってくる。ものすごい圧力で、恐怖を覚える。一刻の猶予もならない。踵を返し、一目散に参道を戻った。一の鳥居の脇の民家では、まだNHKのど自慢の放送中で審査の鐘の鳴る音が聞こえていた。


十五年ほど前のことだ。帰途に宮古空港の売店で、機内の慰みにでもしようと「池間民族語彙の世界」と題された冊子を手に取った。頁を繰っていると、こんな一節が目に留まった。「信仰心の篤い池間民族の拠り所となっているナナムイの西面には大主神社の一之鳥居が海に直面して建っている。その前で、呪力の強い赤モノ(赤不浄)といっさいの履物を脱ぎ置き、清浄な素足になって厳粛なるおももちでコンクリート参道をしばしすすんで行くと、二の鳥居があり、その内奥に、祭祀のためのコンクリート造りの拝殿がある」。

愕然とした。赤不浄だったのだ。僕の出で立ちはアニエス・bの赤いTシャツに赤い鼻緒のビーチサンダル、しかも脱がずに入っていってしまった。さらに、後に判じたことだが、そもそもこの御嶽はツカサ(注2)を除き、島の人々もミャークヅツの時以外は入ることを禁じられているのだ。僕は禁足地に入ったどころか、禁忌をも冒した大いなる不逞の輩になってしまった。岡本太郎の久高島の一件ではないが、好奇心というものは時にとんでもないことをしでかしてしまう。


このくだりを当時流行っていたSNS、mixiに投稿したのだが、ほどなく投稿を削除するようにとのメッセージが、知らぬ誰かから届いた。田口ランディに同じく障りがあるという。余計なお世話だとは思ったが、ただならぬ口吻で本当にまずいことなのかもしれないと思わせたのだった。御嶽のコミュニティを作ったばかりだったが、すぐに削除した。加えて、知人の女性が御嶽ばかり巡っている僕のことを伊良部島のツカサに話したところ、「その人は神様に(御嶽を)巡らされているんだよ。本人だけでなく周りにも障りがあるから、すぐにやめさせなさい」とのご託宣があったという。家人には御嶽を覗くことを禁じられた。


御嶽は祖霊を祀る場であり、そこは墓であることが多い。前出の冊子によれば、ウパルズ御嶽が祀る神は、ウパルズウラセリクタメナウヌマヌス(大主ウラセリクタメナウの真主)、ヤマトからの渡来人(神)で男神であり、神名から不動明王即ち大日如来の顕現とされるという。そしてこの祖霊神は、琉球・沖縄に於ける仏教伝来の祖と考えられる禅鑑の漂着(西暦1270年/補陀落僧)から10年後の1280(弘安三)年頃、おそらくは熊野の補陀洛山寺から渡来した補陀落僧と推定されている。果たして、池間島はポタラカ(補陀落)、浄土だったのである。


(2004年夏)


注1:イベ

イビともいう。御嶽の中心を為す場で、白砂が撒き敷かれ、自然石や老樹などの依り代がある。女性神職を除き、立ち入ることは禁忌とされている。

注2:ツカサ

沖縄、奄美でいうノロと同義で、宮古、八重山ではツカサと称する。琉球弧の島々の集落における最高位の女性の祭祀者である。


参考

「池間民俗語彙の世界ー宮古・池間島の神観念ー」伊良波 盛男著 ボーダーインク刊 2004年