越木岩神社:兵庫県西宮市甑岩町5-4


西宮市から神戸市東部の背後の山中、山麓には多様な磐座がある。さながら磐座見本市のようで、いつどこを訪れても感嘆しきりである。三歳から十三歳の十年間、僕はこのあたりで育った。西宮の甲山などは遊び場だったのだが、磐座なるものがこんなにあるなど露も知らなかった。五十代に入って全国の聖地を巡るようになってから、俄かに意識しはじめたのだが、これも何かの巡り合わせなのかもしれない。人生というものは面白い。


越木岩神社は、阪急神戸線の夙川駅の北、北山の麓にある古社である。このあたりの磐座を擁する神社はどこもそうなのだが、周辺は高級住宅地で、都市部の生活圏に磐座が溶け込んでいる。東京に住まう僕の感覚からすると、とてもヘンな場所なのである。だが、現地の方々にとってそれは地域に昔からあるもので、当たり前のように接しているのだろう。もしかすると意識すらしていないかもしれない。外から訪れると、そのギャップが面白いのだ。




鳥居の先の参道は、樹叢で覆われて昼なお暗い。境内には二百数十本のヒメユズリハが群生しており、県指定の天然記念物にもなっている。参道を抜けると正面に社殿。現在は西宮神社から勧請された蛭子神を祀るが、お目当ての御神体は巨岩、甑岩だ。社殿左脇の参道をさらに進む。鳥居の先に神祠が見える。この背後に聳え立つのが甑岩だ。仰ぎみる。その威容はiPhoneのファインダーに収まりきらない。甑岩の周囲には道がついているので、まずはぐるりと一周してみる。いくつかの巨石を積み上げたように見える。その高さは約10m、基部の周囲は約40m、てっぺんの岩は二つに割れていて、その間から樹が生えているという。

甑岩(南座)
甑岩(南座)
室町時代の俳諧の祖、山崎宗鑑はここを訪れて「照る日かな蒸すかと暑き甑岩」との句を残しているが、僕が訪れた日は折しも梅雨が明けた当日で、この句の情景そのものの蒸し暑さだった。ところで、甑岩は煙を吹くのだ。甑岩の前の案内板には「今を去る約千百年前(延喜年間)には、この岩より煙がたちのぼり、茅沼浦(大阪湾)や戸田庄(西宮市戸田町・西宮神社が海岸であった頃)入江のあたりの舟からも見えたと伝承されています」とある。この岩は、近世になっても煙を吹いたらしい。豊臣秀吉が大坂城築城の際(注1)、この一帯を採石地として岩を運び出したが、甑岩もそのターゲットとなった。石工が矢穴を穿ち、割ろうとしたところ、岩の割れ目から鶏の啼き声がして、白煙が立ちのぼった。石工は仰天して岩もろとも転がり落ち、命からがら逃げ帰ったという。もとより信仰の対象であったが、爾来一層畏怖されるようになったとの由。


甑岩(南座)

実際、甑岩正面向かって右側側面にも、甑岩を切り出す際につけた池田備中守長幸の家紋の刻印が認められ、社殿左手にも切り出された御影石の巨石が据えられている。甑とは、酒米を蒸すせいろのことで、岩の形が似ているのでそう称されるようになったというのが定説だが、もしかすると気まぐれを起こして本当に白煙、もしくは蒸気をあげ、そのことから名づいたのではないか、などと妄想をたくましくしてみる。当社の北北東にある甲山は、1200万年前に噴火した火山だし、有馬や宝塚のように時に温泉が噴出したとしてもおかしくはないだろう。


池田備中守長幸の家紋の刻印

大坂城修築のために切り出された御影石


て、当社の磐座は甑岩だけではない。甑岩の右手から北東に登っていく道がある。これを50mほど進むと、中座と称する磐座に辿り着く。こちらは甑岩とは異なり、崩落でもしたのだろうか、巨岩が散乱したような状態の磐座である。これはこれで趣があって面白い。散乱する巨岩が甑岩のように積み上げられていたとすれば、これも相当な大きさだったのだろう。磐座の前には石祠が立ち、貴船社とある。祈雨の祭祀でも行っていたのだろうか。案内板には六甲山石宝殿(六甲山神社)を奥宮とするとあるが、どのような関係があるのだろうか。六甲山神社の現在の祭神は、加賀の白山比咩神社に同じく菊理媛命で、石宝殿の背後には六甲山大権現が祀られている。なにやら山岳信仰の匂いがするのだが、穿ち過ぎか。


中座(貴船社)


中座


中座


中座からさらに30mほど上ると、丘の上にこぢんまりとした磐座がある。こちらは北座といわれている。おわかりのように、北山に向かって、南座(甑岩)、中座、北座と磐座が一直線に続いているのである。大和は桜井の大神神社の磐座と同様の構図だ。北山の山頂にも磐座様の巨岩が認められ、周辺には弥生時代の遺跡や古墳が数多くあることから、当社は北山を神体山とした古代祭祀の場だったという見方が出来よう。古代史研究の松本翠耕氏によれば、南座(甑岩)は頂部が二つに割れており、市杵島姫命を祀ることから陰石、中座も同様に陰石、北座は中央の立石と左右の石とが組み合わされているので陽石とみている。古くは農耕神、今も子授け・安産の神とされているのはうなづける。


北座の磐座は周囲を石で囲み、左右に榊が手向けられ、神体には〆縄が回されている。賽銭を入れる盆なども置いてあるのだが、祀りの場としての体裁が整えられ過ぎていて、ちょっと残念か。もとより磐座は人為的につくられたものだが、遺跡や遺構は出来るだけ手を入れず、本来の姿を残していただけると、僕のような好事家にとっては大変嬉しい。


北座


北座


越木岩神社背後の北山の山頂には、太陽石と名付けられた巨石群がある。今回は事前の調査が不足しており、実見が叶わなかったが、Google Earthで確認するとこれまた凄い磐座群であることがわかった。今月末は、また神戸に出張がある。北山をトレッキングして、本稿を更新することにしよう。


越木岩神社境内から夙川方面を望む


(2019年7月26日)


注1

考証によれば、徳川氏による大坂城修築(元和六年〜寛永五年(1620〜28))とされる。


参考

「日本の神々-神社と聖地-第3巻 摂津・河内・和泉・淡路」谷川健一編 白水社 2000年

越木岩神社 https://www.koshikiiwa-jinja.jp/