旧六所神社:茨城県つくば市臼井2047
筑波山は、常陸国風土記に名の見える双耳峰の神体山だ。男体山、女体山、それぞれの山頂には本殿があり、筑波男神・筑波女神が祀られている。江戸時代には、日本武尊・弟橘比売、伊弉諾尊・伊弉冉尊、埴山彦神・埴山姫神と、さまざまな男女神に擬えられ、諸説入り乱れたが、現在では筑波男神・伊弉諾尊、筑波女神・伊弉冉尊の併記に落ち着いている。山岳宗教がその根底にあることから、中世から近世にかけて修験道や仏教と習合し、当山は行場、霊場として隆盛を極めた。登ったことのある方はご存知の通り、登山道には「ガマ石」をはじめ、「弁慶七戻り」「大仏岩」「裏面大黒」「屏風岩」「北杜岩」など名前のついた奇岩があちこちにあり、それぞれに標識が立っている。正に磐座だらけの山である。だが、その南麓にも磐座やこれを伴う古代祭祀の場が広がっていることを知る人は少ない。本稿ではその内のひとつ、六所神社を紹介する。
現在の全体図
旧境内地はたいへんよく整備されて、清浄な空気に包まれている。が、東海村の村松大神宮に同じく、由緒はあるにせよ、どことなくいかがわしさを拭いきれない。六所とは先に挙げた六柱を祀るがゆえの社名かと思うが、復興の後には天照大神が中心となっている。磐座もあるのだが、ご丁寧にも「天照大神御腰掛の石」という石標が立つ始末だ。新宗教を批判する積りはないし、もちろん当事者に他意はないのだろうが、筑波山神社の里宮を称していたならば、祭神は本来、筑波雄神と筑波女神となるのが筋だろう。
天照大神御腰掛けの石
さて、参拝を済ませ、目当ての磐座に向かう。森の中に通じた道を数分歩き、裏手の丘に出ると、巨大な岩石がでんと坐していた。注連縄は巡らされていないが、これは磐座に違いない。巨石の類いを多く見てくるとわかるようになるのだが、神が影向する岩石というのは、ロケーション、大きさ、形で、ほぼそれと判じることができる。僕たちが一見して「おぉっ!」と声をあげてしまう岩石は、自然石のように見えてもほぼ磐座といってよいと思う。なぜなら、古代人も同じく巨石や奇岩、大木など自然が齎した造作を見て同じように感嘆の声をあげたに違いないからだ。その感嘆は畏れに変わり、それら自然物はやがて祀られるようになるのだ。そのしるしが注連縄であり、御幣なのである。
夫女ヶ石
白滝神社
つまり、山の神は神輿の御旅所よろしく、春に磐座を伝いながら里に、田に下りてきて、秋にまた上っていったのではないか。そうしたことに思いを馳せる一方で、六所神社裏の巨大な磐座は神の通過点というだけではなく、この地に暮らす人々にとって、もとより独立した地霊であったのではないかと考えるのだ。六所神社の御神体は、往古はこの磐座だった筈だ。そして、連綿と続いてきた磐座への遠い記憶が、合祀され廃社となった旧六所神社の復興につながったのではないだろうか。土地の記憶を未来に向かってつないでいくことはとても大切なことなのだ。
さて、地域ブランドランキングの都道府県魅力度調査によれば、茨城県の魅力度は47都道府県中、最下位。しかもここ五年はその位置は変わらずである。偕楽園や袋田の滝などの観光資源、あんこう鍋や餃子などの食文化と、それなりの魅力はあるのに、なにが災いしているのだろう。筑波山周辺に限らず、茨城県には鹿島神宮をはじめ各所に聖地があり、磐座についていえば関東圏の中では山梨県と肩を並べる。「常陸国風土記」を片手に神々の足跡を訪ねる旅もまた一興ではないか。
旧六所神社境内裏から筑波山を望む
(2016年12月29日)
出典・参考:
六所皇大神宮ホームページ
http://www.jp-spiritual.com/rokushokotaijingu1.htm
奣照修徳会ホームページ
常陸国風土記_茨城県生活環境部生活文化課
http://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/fudoki/visit/09/index.html
地域ブランド調査2018_ブランド総合研究所
http://tiiki.jp/news/05_research/survey2018
「日本の神々 神社と聖地<11>関東」谷川健一編 白水社 2000年