味水御井神社:福岡県久留米市御井朝妻1丁目5


出張先の福岡から久留米まで足を延ばし、高良大社とその周辺の摂社、末社をうろうろしてみた。そのひとつの神社で出会った江上さんの話を書いておく。


朝一番で西鉄久留米大学駅近くの味水御井神社(うましみずみいじんじゃ)へ。地元の人さえ顧みることの少ない古社で、神功皇后が高良大社に向かう途中、喉が渇いたと水を所望したところ、この地から泉が湧いたとの伝承がある。彼女が「ウマーっ!」と言ったところからこの社名となったらしい。筑後国一宮、高良大社の境外末社のひとつだが、行幸の際の頓宮とされているので、往古は高い位置づけにあったものと思われる。境内の案内板にも、かつてこのあたりに国府があり、近在から大勢の人が詣で、曲水の宴が催されていたとある。

近くの家電量販店の駐車場に車を停めて歩くこと数分。境内は清々しい空気が満ち、鏡面の如くとても澄んだ泉がある。神功皇后が立ち寄ったという伝承が史実だとすれば、千七百年以上に亙って湧いている泉だ。泉の中には磐座があり、注連縄を巡らして祀ってある。聖性を感じる場所だ。ただ、境内に社殿はなく、ここが神社と知らなければ泉のある空き地である。倒壊して苔生した石の鳥居の柱や、倒れて朽ちかけた神木が打っ遣ってあり、神社の体を為していない。石灯籠と小祠はあるが、どこか間の抜けた感じがするのは否めない。


さて、澄んだ泉を眺めながら独りごちていると、地元の方と思しきおじさんがやってきた。鯉の餌らしきものを入れたタッパーウェアをふたつ重ねて両手で捧げ持ち、あたりをうろうろしている。こちらから挨拶をする。

以下はおじさん(江上さん)と僕のやり取り。方言の扱いやイントネーションは適当です。ご容赦を。

僕「おはようございます」

江「おはようございます。どちらからいらしたとですか」

僕「東京からですが」

江「わざわざ東京から! 研究かなんかしよるとですか?」

僕「いや、福岡に仕事の用がありましてね。ついでに高良大社まで足を延ばそうと思いまして。来る前にいろいろ調べてましたら、高良大社と縁が深いと云うことなんで、こちらに先にお参りしたんですよ」

江「私ここから二、三分のところに住んでますが、この辺の人もここのことはよく知らないですよ。由緒あるんですがね。地元だから関心がないって云うか…」

僕「清々しくてすごくいいところですね。湧き水が澄んでいて。こちらの水は飲めるんですか?」

江「飲めますよ。水質検査したら、問題なかったです。ここも昔は方々から人が来とって、随分賑わっておったらしいですけどね。もう守る人もおらんようなって」

僕「高良大社のご関係の方ですか?」

江「いやいや、ただ個人的に世話しとるだけです。荒れてしまっとるんで高良の(神職の)人に何とかするよう何度か掛け合ったんですが、江上さん、それは出来んと。相手にしてくれんとですよ。で、仕方ないから毎日ここ通って少しずついろいろと、出来ることだけですけどね。子供が遊んどって池に落ちたらいかんから、この柵なんかも私が作ったとですよ」

僕「そうなんですか」

江「こういうこと言うても信じる人はおらんと思いますが、私、毎週高良大社と奥宮にお参りしとってですね。で、ここのお世話をはじめてから少し、二、三ヶ月経った時だったかな、奥宮の方に参っておったら、どこからか声が聞こえるとです。内なる声と言うんですか、神さんがですね『(高良大社の面々は)ようやらんから、お前面倒をみてくれ』と。あぁ、そういうことかと。でも、神職っちゅうのは、神様にお仕えするもんでしょ、本当は。それを私みたいなのが、なんとかしてほしいって頼みに行くこと自体、逆の話じゃないかと思うんですがね」

僕「ごもっともです」

江「このお社ありますでしょ、ある時正面から写真撮ったら、真ん中の鏡があるあたりを中心にボワーっと大きな光の円が出来ましてね、その光から向こう側が透けて見えるんですよ、こう」

異界への穴が空いてしまった。これ以上、話を聞いてしまうと困った展開になりそうな気がして「では、お参りしてきますね」と躱したのだが、賽銭を入れ、二拝二拍手を終えた時には、彼はいつの間にか境内から消えていた。


滅多にこういうことはないのだが、たまに異界と交信している方々とすれ違う。僕自身は、霊的な現象への基本的態度は中立で、半信半疑くらいがちょうどいいと思っている。だが、江上さんの話は、実直そのもののお顔立ち、お人柄のゆえか、頷いて聞くしかなかった。


味水御井社の祭神は、水波能売命(みずはのめのみこと)。一方、高良大社奥宮の祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと、武内宿禰)の本地、毘沙門天だ。江上さんは、いったいどちらの神の声を聞いたのだろうか。そして、鯉は餌にありつけたのだろうか。


(2015年12月13日)


追記)

高良大社の創祀に関する資料を読んでいて、以下の考察に行き当たった。味水御井神社を心から大切に思う江上さんに、水分神が影向したと考えるのは穿ちすぎだろうか。かなり長くなるが、引用しておく。

「本社の創祀については不明な点が多い。しかし、山内に至聖の聖地が三か所ある。第一は水分神社である。別所の清水とも呼ばれ、奥宮とされる。山頂付近の毘沙門谷にある。中世末の伝承を記録した『高良記』には、天竺無熱池の水を勧請した、とある。清冽で涌水量多く、毘沙門谷をくぐり、高良川に落ち、やがて筑後川に注ぐ。第二は神籠石(馬蹄石)である。山腹の古代山城の列石内にある。表参道途中の字神籠石、ちょうど七町石付近である『高良記』には、神籠石には祭神の神馬の蹄の型がある、という。大盤石で、なるほど馬の蹄の跡型がありありと刻まれている。それで水神、農の神ともとれる。第三は味清水御井神社である。朝妻の泉と呼ばれ、池中に神体石がある。山麓の御井町字朝妻にある。御井郡名起源の泉である。本社お旅所で『高良記』には、神幸は、征韓のとき、本社祭神がその浄土たる兜率天からこの池に下り、神功皇后を輔けた事績に由来する、とある。また、本社祭神が彇(ゆはず)で掘られた、ともある。高良山三潮井場の一つで(現在も筑後・東肥前からお潮井を取りに来る)、この潮井を取るたびに諸神影向する、ともみえる。また、同書は、この神社を特に朝妻七社といい、七社のうちに「国長(庁カ)明神」の名がある。この地はもと在国司の屋敷だった、と伝えられている。『宇佐託宣集』には「香椎朝妻」とみえる。

 以上三か所の霊地は、おそらくは磐座で、原始、高良山の祭祀は神奈備山の信仰から、山頂の水分神社を上の磐座とし、中腹の神籠石(馬蹄石)を中の磐座とし、山麓の味水御井神社を下の磐座として始まったものか、と考える。すると本来の神格は、水分の神だったのだろうか」(山中耕作)

馬蹄石(神籠石)
馬蹄石(神籠石)
高良大社奥宮
高良大社奥宮
高良大社奥宮

参考:「日本の神々−神社と聖地 第1巻 九州」谷川健一編 白水社 2000年