竜宮洞穴(刹海神社):山梨県南都留郡富士河口湖町西湖2068


青木ヶ原の樹海の中にある。そう聞くと「方位磁石が狂う」「GPSが使えない」「入ったが最後出られない」などと云う話が頭をよぎるのだが、すべて俗説との由。但し、自殺者が多いのは本当で、公開はされていないが毎年かなりの数に上るらしい。そんなわけで、一般にはあまりイメージがよろしくないが、この樹海は国立公園内の天然記念物、しかも世界文化遺産の構成要素であり、樹海の中には一般道も通っている。遊歩道や看板が整備されたトレッキングにはもってこいの場所で、ガイドツアーまである。脇道に入っていかない限りは迷うことなどないのだ。

竜宮洞穴は、近年テレビで度々紹介されるらしく、ウェブ検索でもかなりの数のブログがヒットするので、訪れたことのある方もいるかも知れない。富岳風穴の向かいに標識があり、右折してしばらく行くと、右手に遊歩道への入口。ここを入ってすぐ「竜宮洞穴入口」の看板がある。

樹海に入っていくと開けた場があって、奥に洞穴がぽっかりと口を開けている。覗き込むと五メートル程の深さはあるだろうか。洞穴の底に小さな祠が見える。富士講八海の第五霊場とされていることからも、ここは長谷川角行およびこれに連なる修験者の行場だったところだろう。村山修験の頃からだとすれば、あるいは中世に遡るのかもしれない。


祠に祀られているのは豊玉姫命。海神、大綿津見の娘で、日本書紀では鵜茅不合葺命(神武天皇の父君)を出産する際に龍の姿(古事記では鰐)になったと云う女神だが、これは祈雨、龍神と結びついた後の付会だろう。

訪れたのは夏の夕方。朝はかなり雨が降っていたが早くに上がり、あたりには靄が立ち込めていた。祠のある最深部まで降りていくと真夏だが肌寒いほどで、雲海同様、気温の差ゆえに靄が漂っているのだが、これを龍神や霊と結びつける人々もいるようだ。地学については明るくないので、現地の案内板を引用する。

「この洞穴は、富士山青木ヶ原に多数存在する溶岩洞穴の一つである。溶岩洞穴は、溶岩流が高温・高圧下でガス化した水分が初期空洞を作り、各空洞間が床面の流動溶岩で削られて次々と連結してトンネル状の横穴となって出来上がったものと考えられる。本穴の規模は比較的小さく、その総延長は約60mである。洞内の気温は低いために、夏でも氷が見られる。古くは富士道者巡拝の霊場として著名であったが、近年は洞内の崩壊がひどく、天井から落下した岩塊が一面に散在しており、今後も落石の恐れがあり、極めて危険であるため、入洞は禁止している」

さて、刹海は「せのうみ」と読む。富士山の北麓にあった大きな湖で、六書の一、日本三代実録によれば、貞観六年(864年)に起こった大噴火による溶岩流でそのほとんどが埋まったと云う。竜宮洞穴近くの西湖と精進湖も刹海の一部が埋まらずに残ったものだ。この時の火山活動によって生まれた溶岩が冷え、その上に苔が生してできた森林地帯が、青木ヶ原樹海である。したがって、この森の年齢は1,200年に満たず、まだ若い。原生林はどこもそうだが神や精霊が住まう場所としてこれほど相応しい場所はない。樹海の中には竜宮洞穴の他にも修験の行場や、古くから信仰の対象とされた場がまだまだあるように思う。

洞穴の中から外を望むと、靄が立ち込めている。ひんやりした空気を吸いながら、この場を後にしようと洞穴を出ると、森の向こうから声が聞こえてきた。そこには、中国人と思しき家族が三人。高価なカメラを携えた父親が被写体はどこだろうかとあたりを見回していた。

運よく他に人がいなければ、格別の霊気を味わえる場所だ。夏の早朝に訪れるのがいいかもしれない。

(2015年8月16日)