天白磐座遺跡:浜松市北区引佐町井伊谷1147-2
つげ義晴に「無能の人」という漫画がある。芸術家気取りの売れない漫画家が水石に関心を持ち、商売になるかも知れぬと、多摩川べりに小屋を設え、石を売る。石と言っても河原で拾った石を並べているだけなので勿論商売にならない。雲を掴むような仕事ばかりで、何をすれども続かない夫に愛想の尽きた妻は悪態をつき、漫画家は水石の名品展の目録を見ながら自らの境涯にため息をつく。なんとも救いようのない話だが、僕はなんとなく共感を覚える。
水石とは、砂を敷き詰めた水盤に自然石を据えて鑑賞する趣味で、中国は南宋時代の愛石文化に由来し、日本では中世に始まったとされる。昭和四十年代にはブームにもなったらしい。今も「月刊愛石」なる雑誌があるくらいなので、まだ少しはこうした趣味を持つ人もいるのだろう。関心がない人にとってはまったく無価値な自然石も、石質や形状、色合いによって数十万円の値段がつくものもあるようだ。考えてみれば宝石もそうだ。原石を磨けばたいへん高価なものに様変わりするのだから。ものの価値とは不思議なものだ。それにしても人はなぜ石に魅了されるのだろうか。
天白磐座遺跡は、写真では何度もお目にかかっていたし、民俗学者の野本寛一氏の著作を通じて、頭の中で当地の様子が再現できるほどになっていたのだが、これまで訪れる縁に恵まれなかった。
浜松の市街地から車を走らせ、井伊谷まで四十分あまり。周辺は郊外の住宅地である。
渭伊神社の駐車場に車を停めると隅に木の小祠。天白社だ。天白神は、長野を中心に三重・愛知・静岡・山梨に分布する神で、御左口神や千鹿頭神などと同じく地母神のひとつと見られ、いくつか論考もあるのだが詳細はよくわからない。ただ、この地の字名は元々天白であり、天白信仰に関わりがあることは間違いない。こちらも非常に興味をそそられるが、きょうのところはまず磐座だ。
渭伊神社に参拝する。井伊家の祖神を祀る式内社で、このあたり一帯の産土神である。元は井伊家ゆかりの寺、龍潭寺境内にあったが、南北朝時代にここに移されたとある。
さて、磐座は裏手にある薬師山という小山の上にある。社殿左手の緩やかな坂を登ると、すぐに樹々の間から巨石が伺える。山の上の開けた場所に出る。中心に二つの巨石が聳えている。高さ4~5mはあろうか。圧倒的な存在感だ。二つの巨石の間には注連縄がかかり、右の巨石の下には小さな木の祠。
磐座は数多見てきたが、周辺の景観、石の布置結構など非常に洗練された祭祀の場だと感じる。誰もいないと、なぜか敬虔な気持ちが湧き興る。この石の前で跪拝した古代人の心情がよくわかる。
天白磐座遺跡の発掘を率いた考古学者、辰巳和弘氏によれば、渭伊神社側から向かって左の巨石の西側、半岩陰になった場所から手づくねの土器が大量に出土しており、古代において初めに祭祀が行われた場所だろうと推定している。そこから見るとまた違った趣がある。祭祀は石の西面に向かって行われたとすると、東から昇る太陽も気になるところだ。見る場所、角度によって石の表情は変わり、いくら眺めていても飽きることがない。
「無能の人」に戻ろう。作中、愛石会を主催する先生はこう宣う。「水石は天然自然の美を尊ぶ。なかには石を削ったり研磨加工をするものもあるが、人間がどのように手を加えようと自然の美に及ぶべくもない。数万年数億年の時間を経て生まれた肌合い色合い型状を人口の手で生み出すのは不可能な事じゃ。その故に水石こそ美の極致である」美の極致かどうかはさておき、たしかに石には悠久の時間が宿っている。そして、人は悠久の時間にさらされてきた具象物として石を見る。人はそこにカミを観じるのだ。
(2018年8月4日)
参考
「無能の人・日の戯れ」つげ義春著 新潮文庫
「聖なる水の祀りと古代王権」辰巳和弘著 新泉社
「神と自然の景観論」野本寛一著 講談社学術文庫