やすんば:奈良県奈良市都祁白石町


神は動く。旅もする。自ら動くこともあるし、遷座や渡御のように人の手によって動かされることもある。神は乗り物にも乗る。神輿は宇佐神宮が発祥だ。東大寺の盧遮那仏建立祈願に際し、都から迎えられた八幡神は神輿に乗って奈良に向かったとされている。

皆、神社に行けば拝殿の前で賽銭を投げ入れて二礼二拍手するのだが、そこに神がいないこともある。本殿の中にいつも必ず神がいるということではないのだ。神籬、磐座が依り代と言われるように、神は祀り、呼び出せば、依り代を頼りに降りてくるのが本来の姿だ。ただ、降りる場所、降りやすい場所は決まっていて、どこでもよいわけではない。


奈良には聖地が数限りなくある。神の伝承が幾重にも重なった場所が聖地になるのだから、奈良、大和という地が持つ歴史とその意味合いを考えれば、当然のことだろう。どこに行っても相応の感興を覚えるが、訪れた雄神(おが)神社には、また格別のものがあった。

雄神神社は、三輪山に同じく円錐形をした神奈備、雄雅山の麓にある。山を神体とした本殿のない神社で、大神神社の奥宮と見る向きもある。拝殿は山の斜面に接しており、手前に鏡がある。拝殿には窓枠があり、中を覗くと磐座と鳥居、その先は山、神体だ。もちろん、禁足地である。

問題はここから数百メートル西にある国津神社(延喜式内・論社)との間を、神が往来することだ。その道すがらに神が休む樹叢"やすんば"(休場)はある。

雄神神社から国津神社の間には、真っ直ぐな道が通っており、"やすんば"はその両側の田の中に点在する。嘗てはもっとあったのだろうが、寿命で立ち枯れたのか、いま残っているのは三、四ヶ所だ。神の御旅所ゆえ、"やすんば"の樹を伐ると祟られると言われている。種子島のガロー山、薩摩は大隈のモイドン、若狭のニソの杜などに同じく、森は神が降り、宿る場所だ。恐らく当地でも未だにこの禁忌は生きているのだろう。
世の中、里山流行りだ。里山ツーリズムは盛んだし、NPO法人も数多くある。環境保護活動に呼応して、この動きはたぶん広がっていくだろう。開発が進んだゆえに失ったものは、里山の風景ではなく、風土に培われたその土地ならではの生活と精神そのものなのではないか。雄神神社から都祁の里山を眺めながら、守るべきはノスタルジーではないとあらためて思うのだ。
(2016年12月10日)