峯の湛:長野県茅野市宮川2033


僕にとっての諏訪は、数多くの聖地の中でも特別な場所だ。それは、熊野、出雲、琉球弧の島々に並んで、日本人の精神の古層にある信仰、祈りを今に引き継いでいるからだ。それらは普段、当地の人々の生活に奥深く潜んでいるが、なにかの拍子にふと姿を見せる。そして、はっきりとその輪郭を顕すのは祭だ。諏訪には御柱祭という奇祭がある。この祭が行われる時期に当地を訪れたことがあるが、七年に一度ということもあるのか、静かな町並みに火山のマグマが噴き出す直前のような籠った熱量を感じた。


諏訪大社の上下四社の中では、前宮は別格だ。関連する聖地も神長官守矢家裏の御頭御社宮司総社にはじまり、小袋石、磯並山社など周辺に多くある。峯の湛もそうした場所の一つだ。 

前宮はいつ訪れても山から流れる水の音に圧倒される。二の御柱の下に水眼(すいが)の清流があるが、ごうごうと凄い音がする。前宮の持つ聖性は、諏訪湖に流れ込むこの水流に負うところもあるのかも知れない。


社殿の左側、三の御柱の脇を登り、鎌倉道に入る。前宮の杜を裏から見ながら進み、山裾をしばらく行くと少し広がった場所に出る。ここであたりの気配が少し変わるのだが、峯の湛を目指して歩かぬ人は通り過ぎてしまうかもしれない。


しなやかに大きく広がる、素晴らしい枝振りのイヌザクラの巨樹が迎えてくれる。峯の湛だ。根元に小さな石祠が二つ。これまたとても小さな御柱が囲んでいる。


峯の湛は諏訪七木の一つで、祭礼や神事の際、神使(こうのと)が地母神ミシャグジを降ろすのに使った依り代である。

ミシャグジについては柳田國男の書簡「石神問答」をはじめ、近年では中沢新一の「精霊の王」まで、様々な学者、研究者が論考しており、とてもスリリングで面白いのだが、ここで少し解説を加えようにも奥行も間口も広過ぎて、とても紙幅が許さない。読者諸兄姉の興味関心に委ねることにしたい。

前宮を訪れる殆どの参拝客は、社殿で拝礼を済ませ、御柱に触れたら帰途に着く。せいぜい十軒廊を写真に収める程度だ。峯の湛はおろか、御室や鶏冠社など一顧だにしない。前宮の意味などどちらでもよいのだ。さっさと車に乗り込んで、次は上社本宮か、下社を目指すのだろう。

(2018年7月8日、2016年9月29日、2015年3月5日)