与論島 赤崎御願:鹿児島県大島郡与論町麦屋

 

御嶽という沖縄の聖地を初めて意識したのは、二十年前の夏の石垣島だ。島の西側、川平湾手前のロータリーに差し掛かった時、正面に鎮守の杜らしきものを認め、俄かにざわざわとした心持ちになったのだ。車を降りてみると「拝所内許可なく立ち入りを禁ず」という立札が立っていて、好奇心で足を踏み入れることを拒んでいる。近くは景勝地、底地というビーチもある。きっと不埒な輩もいるのだろう。永きに亙る信仰の堆積が伺える、小さいがこんもりと繁った杜。そのものがまるで神であるかのように映るのだった。

 

それまでにも民俗学には多少の関心を寄せていて、柳田國男や折口信夫、谷川健一らの南島についての論考も読んでいたのだが、こんなにくっきりとした輪郭で御嶽というものが立ち上がってきたのは初めてだった。爾来、数年はどの島を訪れても気になるのは御嶽の存在ばかりで、おそらく百以上の御嶽は見て回っただろうか。

だが、ある時知人を介して伊良部島のノロに「カミサマに廻らされている。やめさせないと障りがある」と託宣めいたものを告げられ、実際に障りらしきこともあったので、しばらく控えていた。

 

与論島は車で一周して一時間もかからない小さな島だ。他の琉球弧の島々に同じく、分け入っていくと決して観光案内には紹介されない、高い聖性を帯びた場が島のあちこちにある。赤崎御願もそのひとつで、与論の島建てを行った神、アマミクが上陸した地とされ、島の北にある寺崎御願と並び、二大聖地とされている。

当地は赤崎海岸の灯台付近にあるという情報を得ていたので周辺を徘徊するが、案内標識などあるわけもなく、一向にそれらしき場所が見つからない。アプローチを変えて、農道に車を乗り入れ、畑を突っ切って灯台の近くまで行ってみたが、こちらも行き止まりだ。こんな時は地元の人に聞くのが一番だ。ビーチの上にある食堂「味咲」で、もずくそばをずるずる、かき氷をしゃくしゃくしながら尋ねてみる。アルバイトの女の子は知る由もなかったが、年配の女性が教えてくれた。「そこに駐車場があるでしょう。その脇の茂みを入ってしばらく行くとありますよ。普段は誰も(拝みに)行かないんだけどね」。

駐車場の右側、草が膝の辺りまで生い茂る道を掻き分けながら上っていく。轍が認められる。
数百メートルも歩くと、左側にそれらしき場所があった。鳥居も、社殿も、何もない。入っていくと一面に白砂が敷かれている。奥に神の依り代と見られる小さな石、ビジュル(賓頭盧)が立つ。竹富島のニーラン石に形が似ている。脇には小皿、そしてカップ酒の空き瓶。それ以外には何もない。
あまりに何もない空間である。じりじりと照りつける午後の太陽、野放図に生い茂る南島の植生の中で、何もないことが逆に聖地らしさを際立たせている。御嶽はずいぶん訪れたが、ここまで何もない、開けっぴろげな聖地を僕は知らない。大概はコンクリートの拝殿や鳥居で体裁を整えられているのだが、八重山で云うイビ(ノロのみが入れる御嶽に於ける祈りの場)が剥き出しになっているのだ。人為のないところにある、樹木や岩石を頼りに、神は降臨するのである。

泊まったホテルの主人に、現在の与論島にはノロはいないということを聞いた。葬儀は仏式で僧侶を呼び、拝所での祭祀や御願の際には沖縄からユタを呼ぶのだそうだ。赤崎御願は、与論という小宇宙にとって、天孫が降臨した高千穂のような場所なのだが、若い人たちの日常においては意識されることのない場所になっているのではないか。この先いつまで永らえていくのだろうか。

(201493日)