どうして菜食しないのだ・・・。 | マイペースでする仕事

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人が生まれてから終わるまで・・・
  ひたすら全うする

50歳の時から、

菜食をはじめたのだ・・・。

 

人生の何もかもを

一から見直す作業に入ったのだ・・・。

 

半生を生きて喘息で入院したのだ・・・。

 

置かれた環境で、

とことん頑張ったのだ・・・。

 

その間どんなにしても、

身体の疲労を取ることが出来なかったのだ・・・。

 

疲労は積もる一方で、

精神的行き詰まりが来た途端に、

喘息なのだ・・・。

 

まともに動けなくて、

下手に動くと喘息が嵩じるのだ・・・。

 

これはもう過去の悪行の結末なのだ・・・。

 

もう善行に切り換えるだけが、

唯一の方法だと確信したのだ・・・。

 

呼吸の仕方、歩き方、挨拶の仕方、

食べ方、心の持ち方、

そして何を食べるかだったのだ・・・。

 

野菜なんかいくら食べても、

パワーにならないと思っていたのだ・・・。

 

それなのに、

菜食にいとも簡単に切り換えたのだ・・・。

 

なぜか、

50年間で汚しに汚した細胞を

きれいに浄化するには、

菜食しかないとひらめいたからなのだ・・・。

 

身体のお掃除、

細胞を浄化する視点に立ったのだ・・・。

 

それはそうなのだ、

身体は 60兆ほどの細胞で

出来ているらしいのだ・・・。

 

その細胞の一つ一つの状態について、

考えたこともなかったのだ・・・。

 

細胞の側からして見れば、

こんなもん食べないでくれよ、

もう処理するのに疲れてしまったよ・・・、

と言いたいのだ・・・。

 

それなのに、

お構いなしに食べるから、

細胞がお手上げになってしまったのだ・・・。

 

いろいろとあって、

そんな細胞の気持ちがよ~く分かるほどに

なっていたのだ・・・。

 

好きな物を食べるのではなくて、

細胞が欲するものを食べることにしたのだ・・・。

 

これで一歩、

人生の正解に近づいたのだ・・・。

 

今になって思うと、

これは一歩ではあったが、

これが全てと行っても

良いほどのことだったのだ・・・。

 

そしてまた、

精神的にも影響したのだ・・・。

 

菜食すると言うことは、

殺生しないと言うことなのだ・・・。

 

生きとし生けるものすべて、

生きるということはみな同じなのだ・・・。

 

生きて死ぬまでに経験したことが、

生きた証になるのだ・・・。

 

まだもっと経験したいのに、

殺されてしまったら、

やっぱり残念なのだ・・・。

 

自分の都合で、

そんな目に会わせては、

申し訳ないのだ・・・。

 

菜食にすると言うことは、

あらゆる点で、

自然の仕組みに合っているのだ・・・。

 

それに気付いたのだ・・・。

 

実際、

菜食にしてから 30年が経つのだ・・・。

 

玄米おにぎりと漬物があれば、

それはもうご馳走なのだ・・・。

 

白いご飯の弁当を

食べろなんて言われると、

一目散に逃げて帰って来るのだ・・・。

 

自分で玄米ご飯を炊いて、

必要な個数だけおむすびにして、

バソコンの前か、テニスコートかで、

食べるともう大満足なのだ・・・。

 

三度三度毎回毎回、

お漬物が紅白なますになったり、

高菜になったり、生姜になった

するだけなのだ・・・。

 

そうそう、

五葷一切不使用のフレークカレーも、

一時は三度三度食べいたが、

今では週1程度なのだ・・・。

 

お金も手間も

少ししかかからないのだ・・・。

 

そして、

身体も精神も、

元気だ健康だと言うレベルを

超えて来たのだ・・・。

 

玄米には

計り知れないエネルギーがあるのだ・・・。

 

科学で分析出来ていないのだ・・・。

 

西欧の食事は、

良さそうに見えても、

野蛮な食事なのだ・・・。

 

西欧人も

それに気づき始めたようなのだ・・・。

 

未だに、

西欧かぶれの日本人も多いのだ・・・。

 

肉体的にも精神的にも、

あらゆる点で、

自然に適っているのが、

玄米菜食なのだと分かっているのだ・・・・・・・。

 

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