昔の打ち方が出来そうになってきた・・・。 | マイペースでする仕事

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人が生まれてから終わるまで・・・
  ひたすら全うする

学生時代に、テニス禁止令が親からでた時は、
余りに突然の予想もしないことだったので、

完全にパニックに陥ってしまった。

仕方なしに、テニスを止めることにしたが、
テニスが上手なままだと、止めても止めきれないと思ったのだ。

それで、とんでもないことだったのだが、
グリップの握り方など、自分のテニスを完全に忘れることにしたのだ。

自分に言い聞かせたのだ、完全に忘れてしまうと・・。

するとどうだろう、いつも思い込んだら一途だから、
思い込みかどうかはわからないが、

グリップをどう握っていたのか、
思い出せなくなってしまったのだ。

テニスのセンスは、そこそこあるのだが、
試合に勝てなくなってしまったのだ・・・。

うそつけ、はじめから弱かったのだろうと
言われそうなのだが、これは本当だ。

そして、53才でテニスを復活させたのだが、
グリップの握りは、思いつきのままに握ったのだ。

それから、今日まで、
不本意なテニスをして来たのだ。

老齢にはなったものの、
一年前に週四回のテニスになってから、
徐々に自分のテニスの世界になって来ていたのだ。

そして、錦織選手をはじめとした、
今の極端なウェスタングリップと

私の昔のグリップが似ているような気がしていたのだ。

テニスを復活してからは、
テニス教室の球出しをしなければならなかったから、

完全なイースタングリップが身に付いてしまっていたのだ。

ウェスタングリップで握ると、
ボールがネットを越えない状況だったのだ。

それが、球出しのない、
週四回の自分のテニスをするようになって、

いろいろな打ち方を試すことが
できるようになっていたのだ。

そして、今日、完全に
昔の打ち方を思い出したのだ。

完全に忘れていたのが
やっと思い出せたのだ。

完全に忘れることが出来たのも奇蹟だが、
思い出そうとする気持ちが強くなって、

70才の年齢からして、もう時間がないと、
テニス教室の指導を完全に放棄して

取り組んで思い出したのは、
テニスを復活してから、17年後の今なのだ。

完全にウェスタングリップだったのだ、
錦織選手と同じとは言わないが・・・。

分厚いグリップで肘を曲げたまま、
コンパクトに打つ打法だ。

当時は、軟式テニスから転向しても、
イースタングリップに矯正されたものだ。

軟式流のグリップでは、
練習相手にも随分と嫌がられたものだった。

だから、イースタングリップと
軟式グリップの中間みたいなグリップだったが、

いくら疲れても、無理なく打てたから、
軌道が安定して、ミスが少なくて、

強打が容易だったから、好成績に繋がったのだ。

当時は、バックハンドを両手で打つと、
テニスをさせて貰えなかったのだ。

だから、必死でシングルハンドに取り組んだのだ。

腕力が足りないから、強いボールが打てず、
弱いスライスで返球することになるのだが、

それでは、面白くないので、
かなり変則的なバックハンドだったが、

強力なスライスが掛かるから、
試合の相手が嫌がったのだ。

サーブもいくら打っても肩を壊さないで
しっかり打てるよう工夫していたのだ。

すべて、テニス教室では教えない打ち方だ。

当時の友達が、自宅のテニスコートに
私を招いて、不思議な打ち方をすると驚いていたのだ。

わざわざ、東京にいる兄弟まで呼んで来たりしたのだ。

今、そのグリップの握りで打てそうなのだ、
週四回の自分のテニスがそれを可能にしたのだ。

長いことかかった・・・・。

記憶喪失も、こう言うことなのだろう。

これからは、このグリップの握りでテニスをするのだ。
二三日もすれば、普通に打てることだろう。

イースタングリップも身に付いているから、
その時々に、グリップチェンジも可能になったのだ・・・。


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