で、教育勅語についてなんですけども。


ざっくり言うともう過敏に「戦前」に反応するのは止めてはどうかと思います。


日清戦争、日露戦争は良くて大東亜戦争はだめ。

明治天皇、大正天皇は良くて昭和天皇はだめ。

五箇条の御誓文は良くて教育勅語はだめ。

帝国主義にした明治維新は良くて戦前の帝国主義の政治はだめ。


来年で戦後80年経ちます。当時を知る当時の10代以上の方は100万人で日本の人口の0.6%、20代以上に至っては1万人を切って0.06%しかいらっしゃりません。国民の誰もが民主主義を捨てて天皇制への回帰を望んでもいないのに何故教育勅語の徳目を引用するだけで軍国主義に戻ると言うのかさっぱりわかりません。


昔明治神宮に参拝したときに参道に掲げられた五箇条の御誓文を見て感銘を受けました。国民上も下もなく官民一体となって勤労に励み世界への知見を広く持って日本を良くして行こうと言う言葉に、当時の人達だけでなく戦後官民一体となって高度成長を実現した日本人の気概の原点を見る思いがありました。自分もこれまで日本を支えてきた人達と同じように頑張ろうと言う気持ちにさせてくれたのです。


でも教育勅語が駄目なら五箇条の御誓文だって天皇制存続のため国を強くするための国民への訓示になるのですから批判があって然るべきですが、未だに堂々と掲げられ、それについては一言の文句も出ない。そんなに日本の帝国主義を否定するのであれば、何故帝国主義の象徴とも取れる明治神宮に対して批判をしないのか。韓国併合を批判するなら日清、日露戦争は大東亜戦争よりも批判を受けるべきなのに口に出さない。


それは戦後が身近にあったからではないのでしょうか。

伊藤博文や山縣有朋、井上馨等をいくら批判したところで現実感に乏しく世論への訴求力が弱い、昭和の軍部の方が現実的な批判の対象として国民もイメージがし易いからじゃなかったのかと思います。


いや、軍部の暴走した昭和の軍部を否定しているのだから明治は関係無いと言うかも知れませんが、軍部の暴走を許したのは帝国主義社会ですから昭和に至る過程を無視するのは論外だと思います。


終戦を起点として80年遡ると明治維新前夜の幕末混乱期まで遡ります。


こうして現在の時間軸として見れば戦前は大正明治とさほど変わらない過去になって来ているのですから、そろそろ戦争総括も戦前昭和だけ近視で見るのではなく、その視点で見ては如何がなものかと思うのです。教育勅語を批判するのであればなおさらそうであるべきです。明治維新の否定を貫くのでしたら理解もしますが、それはそれ、これはこれと言われるとあまり納得出来ないなー、と個人的には思います。



もう少しだけ思うことがありますが、長くなりますので次に書きたいと思います。