めっきり寒くなってまいりましたね。

部屋の中にいても鼻のてっぺんが冷たくなって来る季節です。

何と言っても25000円の家賃ですからさもありなん、と言うところでしょうか。


このところ仕事が忙しく、帰宅しても仕事の事が気になってなかなかブログも書けずにおりました。


さて、Xでは相変わらずと言うより、以前にもまして岸田さんの批判が増えております。右を見ても左を見ても岸田さんが何か口にすれば批判の嵐ですね。


最近気になっているのは岸田さんが緊急事態条項の法制化の実現を口にされての批判投稿なんですが、戦前の治安維持法よろしく政府の権力行使で戦争にまっしぐら、徴兵制も始まると危惧する声が上がっております。


ですが、自民党の改憲草案では98条において緊急事態宣言から5日以内に国会の承認を得ないと効力は取消であり、宣言自体も100日としております。延長する場合は国会の承認が必要になりますから、政府の独断で何でも決めれるようには読めません。


政令によって基本的人権を制約してしまうとの危険性も言われますが、99条において基本的人権の制約は最大限配慮をかけるよう明文されておりますし、政令である以上憲法規範から逸脱する発令は出来ないと思います。


ナチスの例をもって危険視する声もありますが、草案の権限行使はあくまで政令ですから行政の範囲に限定され、ナチスが全権委任法を制定したような立法への権限行使は出来ないと思います。

徴兵制も基本的に立法化があって実施されますから現実的ではありません。


批判する方々の多くが東京弁護士会が出している声明の「憲法は国家権力の拘束具」と言う立場に立ったものに見えます。

その視点に立てば基本的人権や表現の自由などに制約をかけようとする緊急事態条項は国家権力の縛りを緩める危険な行為と言うのはそうなのかもと思います。

しかし、東京弁護士会自身が「国家権力の拘束具」と例に出しているワイマール憲法に国家緊急権があるのはどういう事でしょうか。


確かに国家権力から国民の人権を守る事は重要ですが、では国家権力以外から身の危険や基本的人権の制約がかけられた時に誰が守ってくれるのでしょうか。

彼等は国家の権力には従わないが、国家は国民を守りなさいと言ってます。自分達は戦わない(徴兵制は嫌だ!)が国家は自分達を守るために戦えと言う。


国家とは誰のことなんでしょうか。


国家とは自分達国民の事だと思うのですが違うのでしょうか。


何を守りたくて、誰に守れと言っているのかよく分からなくなって来ます。




例えばある地方都市で致死率100%のパンデミックが発生したとします。

全国感染を防ぐ為には都市閉鎖する以外に無い位に感染力が高かったらどうでしょうか。

行動の自由も含め人権の制限になりますから、都市封鎖するには国民の総意である国会の決議が必要になります。

そんな時にマスコミが政府や国会は感染者やその都市に住む非感染者の人権を無視する非道な措置だ、他の解決策を考えろと世論を誘導すると、感染都市から離れた地域の国民ほどその意見に賛成するでしょう。或いは致死率100%はデマだと言う報道もあるかも知れません。その世論に押されて国会審議は紛糾、その間に感染都市は拡大して多くの国民が死んで行きます。


そんな時に国民は何と言うでしょうか。

コロナで聞き飽きるくらい聞いた言葉ですが


「政府は対応が遅い」

「(対応の悪い)政府に殺された」

「政府の感染対策が悪いせいで死ななくても済んだ人が沢山いた」


誰が殺したのでしょうか。

政府は一部の人権を否定して多くの国民を救おうとしました。

都市封鎖によってその人達は殺したかもしれません。

でも、対応が遅れる事で死んだ人達は人権を叫ぶがあまり国民自身が殺したのではないでしょうか。或いは報道の自由から人権を守れと世論を誘導したマスコミではないでしょうか。


そんな事は絵空事と言うかも知れませんが、緊急事態条項を法制化して軍国主義になる可能性よりも、はるかに現実的な可能性と思うのです。


確かに人権の制約が発生する問題ですから、有事の可能性をどれだけ自分たちが想定出来るかと言う事と、有事が起こった際に政府に任した方が良いと思うのか、それとも個人の判断で皆が好きなように行動したほうが良いと思うのかで決まるのでしょう。


個人的にはどんな政権の下であっても、多くの国民を守るためには緊急事態条項は必要な備えだと思っております。