先程仕事が終わり、帰宅途中にXを覗いてみましたら「便まみれ 」と言うトレンドが目に入りました。


認知症の母親の介護に疲れ、合法であるなら捨てたいと言うアベプラに出演した女性の話から色々な意見が出ておりました。

その中で子供に迷惑をかけるくらいなら安楽死を認めてもらってそうなる前に死んだほうがマシ、と言う投稿が目に付きました。

どうして国は安楽死を認めないのか不思議とまでも。

介護問題が話題になると良く出てくるワードです。


これ、凄く腹立たしく思っております。


ウチの親父の他界は87才だったでしょうか、晩年の10年近くは認知症でした。実家に顔を出しに行っても自分の事が分からず、母に「まさしが来たよ」と言われて「おお、そうか」とは言うものの自分の顔を不思議そうに見ており、やはり理解は出来ていないようでした。それでも元気な親父の顔を見ると自分の事がわからずとも世間話で笑顔を見れるのは嬉しく、親父が親父であることに変わりはありませんでした。


他界する三年前に介護病院に入りましたが、それまでは実家で母と長兄が介護をしておりました。怒りやすくなった性格、夜の徘徊や食事をしたことを忘れての暴食(冷蔵庫を勝手に開けて食べるので鍵を取付けました)、大便が出ないと言って指を肛門に入れて便を掻き出し、そこら中に撒き散らすなど、一時も目の離せない大変な介護で母の介護疲れもあり、愚痴も良く聞いていましたから頭の下がる思いでした。


入院のきっかけは既に足腰が弱っていたのですがトイレに行こうとして足を取られて倒れ、柱に顔面を強打して歩けなくなった事からでした。それ以来病院での寝たきり生活となりましたが、母の負担は自宅介護と比べれば格段に楽になったと思います。


他界する一週間前位に親父が肺炎になったと姉から連絡が入りました。もう長く無いかもしれないが、食事が出来なくなったのでこのままだと亡くなる、延命するなら「胃ろう」を勧めるがどうしますか?と医者に言われたとの事で、母と長兄姉次兄の五人で話をしましたが、みんな胃ろうをお願いすることを望みました。

結果的には胃ろうの処置の前に他界してしまいましたが、家族としては少しでも長く生きて欲しいとあの時は思っていたのです。

たとえ、親父が自分達のことが分からなくなっていたとしてもです。たぶんどの家庭でもそうだと思います。



確かに自分が認知症になって子供達や嫁ちゃんに苦労かけるのは嫌だと思います。

自分で迷惑をかけている自覚もないのですから、そうなる前に死んだほうがマシ、と思う安楽死を望む声の人達の気持ちもそこだけ見れば分からなくはありません。


ですが、年老いてもまだ意識のしっかりしている親が「お前達に迷惑をかけるのは嫌だから安楽死するわ」と言ったら子供はどう思うのでしょうか。

はい、そうですか、それじゃ死んで下さいと言うとでも思うのでしょうか。

親父は自分達の事を思って死んでくれたと感謝するのでしょうか?


そう思うような子供であれば心配しなくても介護などしてくれませんから死ぬだけ無駄に思えます。


子供に迷惑をかけると思えている親なら、子供は親に死んでほしくないと思っているのです。


そんな子供達に死ぬ宣言を元気な内にして死ぬのは自殺するのと変わりありません。

あるいは宣言しない方が子供への罪悪感を与えない分マシかも知れません。

そう考えると死ぬ覚悟があるのであれば、極端な話自殺すれば済む話です。

安楽死を臨むのは、痛い思いをして死ぬのが怖いからではないでしょうか。

どちらにせよ、親の死が自分達の所為だと思わせる事の方がどれだけ不幸かと思います。まだ子供達に嫌われるように振る舞っていなくなって清々したと思わせる方が良いと思います。


そもそも、いつ認知症になるのかも分からないうちから死ぬ選択が出来るとも思えません。


意識がしっかりしているうちに認知症と診断されればその時に、と思うかも知れませんが、長兄は一年前に若年性の認知症と診断されていますが、本人にその自覚はありません。とても無理な気がします。


親父の晩年の家族の思いと、自分の子供達に対する思いを考えた時、どう考えても安楽死を望む声は他人事で綺麗事にしか思えず、腹立たしく思えるのです。


とは言え、トレンドの本題である老齢介護の問題は難しいと思います。せめて、年金支給額で賄える位の介護施設への入所の実現は必要のように思えます。認知症や寝たきりになった場合は特に。