実はこの数日は症状がいくらか強くでてきて、腹痛、腰痛、陰嚢一帯の痛み、みぞおちの膨満感からくる吐き気、そしてこれまで自身は感じることのなかった足底のピリピリした痛みもでるような感じがありました。

 

痛みや吐き気のような気持ち悪さが強くて眠れず、寝るのはあきらめて徹夜したりもしましたが寝床で「寝なくては…」と思うほど焦りが出てきてしまうものです。

その日は、楽な姿勢で腰や仙骨を温めて「こういうときは寝なくていいか」と思えばいくらか気が楽になったので、結局朝までネット麻雀に参戦したりしましたが(苦笑)。

 

慢性前立腺炎や間質性膀胱炎は原因不明とされることも多いですが、個人的にはこうした症状は坐骨神経痛の親戚のようなものだと感じており、腰椎や仙腸関節、腰仙関節あたりの問題が知覚神経や自律神経に障っていろんな症状になるのではないかと思っています。

骨盤周囲の筋肉の緊張とか、全身のバランスの問題が背景にあるのではないかと考えていることは、この間の記事で述べている通りです。

 

 

さて、慢性前立腺炎や間質性膀胱炎と呼ばれる不調の症状は時に激化し、思わず救急車を呼んだり、寝ても起きても痛いので大変気が滅入ります。

西洋医学の解説では原因不明とか生涯にわたる医学的管理が必要なんて物騒な解説も見かけ、なんだか気落ちするものです。

もっとも、現代医学でも原因不明とか治療法が確立されていない不調というのはたくさんありますし、そういう不調が治ることもあれば、ついぞ治らないというケースも当然あるのでしょう。

 

この点、最近では「もしかしたら何もしなくてもそのうち治るんじゃないか」という気もしてきました。

換言すると「何もしなくてもよい」という心持ちのもと、症状が消えるのをひたすら待つという心境が重要なのかもしれないとも思えてきたという感じでしょうか。

 

というのも、自身の場合、こうした強い症状が出た後というのはいくらか体が楽になる体感があり、確かに症状は強く出るものの、それによっていくらか体が変わっていくのではないかと感じているからです。

 

また、これまでの西洋医学的な治療(主にはいろんな薬の服用)では症状の軽減にいくぶん効果のある薬(抗うつ剤)はありましたが、根本的に治るような薬ないし治療法はなさそうで、西洋医学的な介入によって治るとは思えなくなってきたというのもあります。

 

慢性前立腺炎や間質性膀胱炎に限らず原因がわかっていない不調、治療法が確立していない不調においては、ときに代替医療とか民間療法(あるいは祈祷師とか拝み屋)といった世界に足を踏み入れることもあるわけですが、結局のところ治療法はどうあれ「どうすれば治るのか」「早く治したい」という「恐怖」や「焦り」の心理があることには変わりありません。

 

この点、『骨盤の頭痛』という本では間質性膀胱炎については何の治療も受けずとも治ってしまう人も結構いるといった報告が紹介されていましたし、交感神経(興奮、緊張、恐怖)・副交感神経(弛緩、リラックス)の乱れが症状の背景にあるならば、「早く治りたい」という気持ちが交感神経優位を招き、体に力が入って、筋肉の緊張が解けず、ますます改善から遠のくということがあるかもしれません。

ですから『骨盤の頭痛』では「焦り」や「恐怖」から距離を置くためのリラックス法とかメンタルトレーニングが重要な治療法として位置づけられている、と理解しています。

 

プラセボ効果というのは確かにあると思いますが、本人が「これで治る」と思う心理の背景に「これで治ると思えば治るんじゃないか」という期待があるうちは、本物のプラセボ効果は得られないのかもしれません。

どちらかというと、「痛い、苦しい」という中にあっても「まあ、こういう不調なんだ」と割り切って、できることはそれなりにしつつ、あんまりあれこれいじくり回さない方が結果として「焦りや恐怖」から解放されて、経過が良いのかな、という気もしてきました。

 

眠れないときは無理して寝ようとしないで何か別のことをする、とか、食欲がないときは素直に何も食べない、といった対応に切り替えるほうがよいのかな、と感じています。

日常生活における、軽い価値観の転換ですね。

 

 

自身の体感から言うと、おそらく慢性前立腺炎や間質性膀胱炎になる人というのはひどく「疲れている」人が多いのではないかと思います。

心も体も、です。

 

身体でいえば腰や背中に負担がかかっていると思いますが、おそらく発症前からこうした疲れを慢性的に抱えている人が多いのではないかと勝手に想像しています。

体がひどく疲れるような生活を続けてきた挙句の発症でしょうから、その時点で心も当然疲れている、と。

しかし、本人は疲れているという自覚がなかったり、あったとしても自分なりの義務感、価値観でこれを押さえ込んできたという人が多いのかもしれないと思っています。

休むのが苦手、不安、という人も多いかもしれません。

 

そうした中で発症し、ドクターショッピングを重ね、原因不明とか、さほど効果のない薬を飲み続けたり、いろんな診断名をもらっても結局改善しない、というケースが多そうで、こうなると受診の度にますますイライラしたり、八方塞がりな感じがして、心が疲れることになりそうです。

こうした状況が交感神経優位とか、イライラから来る体の緊張を増幅させ改善から遠のくということは確かにあるかもしれません。

 

これも何度か話題にしていますが、体の不調というのは「休んだ方がいいよ」とか「価値観を転換したら?」といった何らかのメッセージと思われるところ、「早く治して普通に戻りたい」と焦るのはかえって逆効果かもしれません。

慢性の不調を抱える者は「なぜこうなったのか」「どうしたら治るのか」「早く普通に戻りたい」と四六時中思い続けるわけですが(自分もそうです)、そもそも病気になったり、治ったり、ついぞ治らなかったりするのが普通であって「人生にはそういうこともある」というマインドに切り替えたほうが、結果として経過が良いこともあるのではないかという予感もしてきました。

 

また、病気の効用というのは確かにあって、価値観の転換とか、周囲の人の厚情に気付かされるとか、誰かに助けを求めることを躊躇しなくなるとか、そこから新たな人間関係が生まれて生活が変わっていくとか、悪いことばかりではないと思います。

というか、そういう経験を通じて、自分の生き方を自分なりに見つめ直すということこそが病気の効用なのだと感じます。

病気がなければ、ますます息苦しく、疲労困憊の人生を突っ走り続ける、ということになるのかもしれません。

そういう人生もありだとは思いますが、自分がそういう生き方をしたいかどうかが、病気を通じて問われているのかも…。

まずは休養が必要なケースが多いのではないかと勝手に思っていますが、これは何も病気を機会にぐうたら人間になれ、という意味とも違っているかもしれず、力を注ぐ方向性を変える、という解釈もできるかもしれません。

 

 

というわけで、最近では「何もしなくてもよいんじゃね?」と思えるくらいのマインドがまずは必要なのかもしれないと思ってはいます。

しかし、適切な介入というのも具体的にあるとも思っています。

ここでの介入というのは、「何もしなくても大丈夫かもしれない」と思えるような心境に導くための介入と換言してもよいかもしれません。

この辺は矛盾というかアウフヘーベン、止揚ともいうべき捉え方になってきそうです。

 

残念ながら西洋医学にはその期待は薄いというのが現時点での印象で、東洋医学とか手技療法、徒手療法のほうが親和的ではないかと感じています。

ただ、間質性膀胱炎を診療し続けてウン十年の西洋医学の医療者の方(自身も通院していました)も「病気のことを忘れてしまうのが一番なんだ」とおっしゃっていて、先生の治療方針も「何もしなくてよい」という発想に近いのかもしれません。

西洋医学の医療者(とりわけ泌尿器科)でこういうことをおっしゃる方は珍しいと思うのですが、個人的には「忘れろ」と言われても痛みが常にあるので忘れることが難しく、この点は「忘れる」というより「こういう不調もあるんだな」くらいに自分を納得させるほうが自身の性分にあっているかもしれません。

また、医療者の中には「脳がしつこく痛みを覚えている」ということをおっしゃる方もいらっしゃいますが、個人的には痛みを覚えているのは脳というより本人の「心」ではないかと思っています。

脳はバッファのような機械で、心や感情とは別のもの(それらを反映するとは思うが)だと思っているので、脳だけの問題なのかなというのも疑問符がついたり、つかなかったり。

 

で、介入について自分なりの体感からよさそうに思っているのは、

・楽な姿勢で静かに呼吸すること

・仙骨、尾骨、腰、肩甲骨の間を蒸しタオルや温熱器で温める

といったものです。

 

楽な姿勢というのは人によって異なるでしょうが、自身は「四つんばいの姿勢」は楽な姿勢のひとつです。

四つんばいは背中や腰の筋肉が緩む姿勢であり、胸椎が背中に押し込まれる姿勢なので肋間が開いて呼吸が深くなる姿勢だと思っています。

四つんばいというのは重力の関係で仙腸関節とか仙骨への負担も少なくなりそうですし、背面の筋肉や筋膜がゆるめば腰や仙骨の突っ張りがゆるむので、仙骨神経叢、馬尾神経といった神経への負担も軽減し、これらの神経に由来する神経痛にはよい姿勢なのかなと勝手に感じています。

人の身体は吐く息でゆるみ、吸う息で緊張するので、呼吸も併せて実践したいです。

このとき、深呼吸をしようと思うとかえって体が緊張するので、まずは普通に静かに呼吸を続ける、というのがよいように思います。

仙骨、尾骨、腰、肩甲骨の間を蒸しタオルや温熱器(こんにゃく湿布もあり)で温めるというのも神経痛を念頭においたケアですが、これは割と即効性があると思います。

温めている間、お腹や陰部周辺がどんな感じがするか、変化を静かに観察してみるのもよいと思います(時折、内臓なのか神経なのか、体の中で何か動く感じがします)。

 

このほか股関節とかも気になりますが、いわゆるストレッチやヨガというのは、これらをやろうとする時点でもう気負いというか「早く良くなりたい」という気持ちになってしまいそうで、ついついグイグイやったりして、普段やらない姿勢をとった結果、翌日筋肉痛のようなことになったりすることもありそうです。

無理のない範囲で、楽なレベルで、とはよく言われますが、これが案外難しいなと感じています。

それよりかは楽な姿勢でリハビリ的な極めて静かな体操めいたことをしてみるのが、今の自分には合っている感じがします。

(楽な姿勢についてはこれを追求した操体法という体操法もあるようです)

 

 

というわけで、最近ではマインドチェンジというか、焦りは禁物ではないかと思えるようになってきたので、心持ちの方面を話題にしてみました。

そうはいいつつ、体操とか人体の構造とか、おそらく自分はいろいろ調べたりを続けてしまいそうですが、いい加減いろいろ受診したりするのに疲れてきたので(笑)、もう何もしなくてもよいんじゃない、という心境にもなってきたのかもしれません。