先日、自分が卒業した中学校のPTAの方から、

「今年度の卒業生たちにメッセージを頂けないでしょうか?」

というご依頼が来ました。

何と、そのPTAの方というのは自分と同学年の方!

この時点で非常に感慨深いものが。

ふと考えてみると、卒業からちょうど30年。

自分のルーツのひとつでもある場所で、節目の年に、

お役に立てることがあるならばこちらこそゼヒに、と

僭越ながらお引き受けする事に致しました。

・・・とはいえ、何を話したらいいのやら?

あれこれ考えましたが、まぁ一般論というよりは、

自分の経験談みたいなものの方がしっくり来るかな?なんて。

在学当時の思い出なども多少交えつつ(笑)

 

残念ながらスケジュールの都合がつかず、

学校にお邪魔することは出来なかったので、

音声メッセージをお届けするかたちになってしまいました。

実は、こういった御依頼を頂くことは結構あるのですが、

基本的にはお断りをしており。

なるべくフェアなスタンスでいたい人間なもので・・・。

今回は極めて縁があり、

タイミング的にも取り組むことが出来たのでお引き受けした次第で。

そんなこんなを考えた末、

抜粋ではありますが、メッセージをこちらに掲載することにしました。

中学を卒業する皆さんにあてたものではありますが、

それ以外の節目迎え、新生活をはじめられるみなさんにも、

自分からのエールとしてお読み頂けると幸いです。

 

「みなさん、中学校生活はどうでしたか?楽しかったですか?まぁぶっちゃけると、僕の中学三年間は楽しい思い出ばかりではありませんでした。むしろ、しんどいなぁと思うことの方が多かったかもしれません。同級生や先輩後輩、そして先生。人間関係が良好だったとは、正直言えません。その理由をのちに考えてみたんですが、一番大きかったのは、自分から「閉店ガラガラ〜」って、あまり打ち解けなかったのが、きっと良くなかったんでしょう。当時の自分は、アタマでっかちな、感じ悪い人間だった気がします。

 

 まぁ中学時代はそんな感じでしたが、今ではたくさんの、日本だけでなく、世界中に応援してくださる人たちがいます。一生懸命頑張って仕事をしてきたということもあるかもしれませんが、それ以上に、多くの人と関わりあう中で、大切な事に気付けたからだと思います。中学を卒業してから、自分を変えようと、積極的に周りの人とコミュニケーションをとるようにしてみました。すると・・・世界が変わりました。

 

やっぱり、『人と人とをつなぐのは、心』です。

 

役を演じるというのは、自分以外の人間の心になるということでもあります。「常に自分だけでなく、別の人間の目線からも物事を考える」。

声の仕事をやるようになって23年目になりますが、こういうことを続けていく中で、日々の生活でも、それまで以上に、他の人の気持ちを深く推し量るようになりました。そこで、改めて「素晴らしい」と思った言葉があります。

 

『ありがとう』

 

感謝する時に言う「ありがとう」ですが、この言葉のもともとは「ありがたし」、「ある」ことが「かたし」、つまり「あることが難しい」「めったにない」という意味なんですね。清少納言の『枕草子』にも出て来たりしますが、覚えていますか?

ほんの些細なことでも、誰かが貴方のために何かをしてくれた。たとえば、隣の席の人が、自分が落とした消しゴムを拾ってくれた。そんなことでも、よくよく考えてみてください。その人は、法律で定められた義務で拾ってくれたわけではないですよね?こういうのも、実は決して当たり前ではない「めったにない」こと。この本当は「めったにない」を感じるセンサーは、相手が身近な人であるほど鈍くなってしまうもので。やってくれても「あたりまえ」と思って、「ありがとう」って言っていないこと、たくさんありませんか?

 

同級生、先輩後輩、先生、家族、そして、これからの新生活で出会う人たちに、気軽に、でも心から、笑顔で「ありがとう」と言える人になってください。そうやって自分から心をつないでいけば、貴方のことを大切に思ってくれる人も必ず出来ます。増えていきます。もう既に親友いっぱい!ズッ友だらけだぜ!なんて言えちゃう人はホントラッキーです。でもそのラッキーも、あたりまえのものではなく、ミラクルだってことを忘れないでくださいね。

 

さて、年をとると話が長くなっていけません。これをもちまして、後輩のみなさんへの卒業お祝いメッセージに代えさせて頂きたいと思います。本当は、直接お伺いして、みなさんの顔を見ながらお話しさせて頂きたかったのですが、スケジュールの都合がつかず、音声だけになってしまいました。ごめんなさい。けれど、みなさんのこれからの人生に幸多きことを、心から祈っています」