複数の月刊誌を購読している。
そのなかの一冊に大法輪閣『大法輪』という仏教の雑誌がある。仏教の視点でこの世を眺めようという内容で読みがいのある雑誌だ。
今月号は「仏教が教える発想の転換」という特集を組んで、宗派を問わずに仏教の発想でモノの見方を変えてみようというのが趣旨である。
家は曹洞宗の寺に帰しているが、個人的には法華経に帰依する日蓮宗が好き。
法華経のたとえ話を活用しての教えに魅了されている。特集で法華経の有名なたとえ話が採りあげられている。
「三草二木の喩(さんそうにもくのたとえ)」
森は種々雑多な草やコケ、大木、小木から成立し、天から降る雨はそれらを平等に潤す。だが、その雨を受け取る能力には違いがあると法華経は説く。
森は大木だけでは成立しない。小さな草が水分を十分に蓄えるからこそ、大木は存在できる。草は大木がないと直射日光を受けて生存することができない。つまり、草や木が相互に自分の能力を発揮してこそ共存できる。
考え方を人間にあてはめるとどうなるか。
人間は男女の違い、能力の違いといった多種多様な相違点を抱えている。これを認識したうえで社会を造らねばならない。
それぞれ有する能力を発揮し、他者を尊重することが重要なのだろう。
自分の能力は何かと考えてみるが、コレといった能力がみつからない。
自分は何ができるのか?己に問うが、返事はない。