帝銀事件④~考察(その2)~ | 全曜日の考察魔~引越し版

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関わりがある直近の記事を読んでから見てください。

真犯人の人数

個人的には複数犯だと思う。2人~組織的犯行の可能性を考えるが、単独犯の可能性も視野に入れて考察すべきだと思う。

ひょっとしたら、731部隊の関係者や闇医者、GHQ出入りの日系人2世などがつるんで筋書きを作り、犯行を実行した、なんて可能性もある。

GHQの関与

連合国軍の占領下で発生した帝銀事件の捜査にはGHQが大きく関与していた。その関与の度合いについては、
  • 協力説:GHQは日本の警察の捜査に協力はしたが、圧力や介入はなかった。
  • 介入説:GHQは旧731部隊の情報や要員を独占するため、警察の捜査に介入した。
  • 謀略説:帝銀事件そのものがGHQ内部の一部の者たちによる謀略活動であった。
など、さまざな説が今も主張されている。
1948年(昭和23年)10月29日に行われた帝銀事件捜査本部打上げ式において、田中栄一警視総監は「本事件に対してGHQ公安課の絶大な御協力を頂いた」との挨拶を述べ、同事件捜査本部長であった藤田次郎刑事部長も「本事件発生直後から逮捕に至るまで、また逮捕後においても、最高司令部公安課当局(PSD)の懇切な指導と援助を賜った」、「公安課のイートン主任警察行政官の指示で作成したモンタージュ写真が、平沢逮捕の上で有力な手がかりとなった」との内容の挨拶を述べている。この式にはGHQ公安当局の担当者も出席しており、占領下で発生した帝銀事件の捜査にGHQが大きく関与していたことが窺える。
 
なお、名刺を悪用された松井蔚は太平洋戦争中、南方軍防疫給水部(岡9420部隊)に所属していたことが判明している。

介入説

平沢冤罪論者の一部(全部ではない)が主張し、帝銀事件関係の出版物や記事などでも人気がある説である。
介入説では、捜査本部は旧731部隊の関係者を洗っていたが、細菌兵器の情報を独占したいGHQが捜査本部に731部隊の捜査を中止するよう内々に命令した、そのため731部隊と関係のない平沢貞通が逮捕された、とする。作家の松本清張は『小説帝銀事件』や『日本の黒い霧』の中で、推理と想像を交えてGHQによる圧力や介入を描いた。清張の原作にもとづいて昭和期に作られた映画やドラマでは、あたかも事実であるようにそれらのシーンが描かれ、また平沢冤罪説論者の一部もGHQ介入説を主張したため、一般の認知度は高い。が、実際には、GHQが日本の警察に圧力をかけ旧軍関係者の捜査を打ち切らせたのかどうかは、下記のとおり確実な資料では確認できず、学界や法曹界での通説とはなっていない。
また、平沢の三女のボーイフレンドだった連合国軍のエリー軍曹は、平沢の家族の証言によると事件当日に平沢家を訪れており、平沢のアリバイを証言できたので、弁護側はエリーを証人として申請したが、裁判所はなぜか許さなかった。これもGHQの圧力があったとする主張がある。

平塚八兵衛の”関与”

平塚八兵衛は恐らく取り調べには関与していないものと思われます。
たしかに平塚は名刺捜査班の一員ではあったが、平塚自身の証言によると、彼は平沢の取り調べはしておらず、平沢逮捕に尋常ならぬ執念を燃やしていたのは名刺班班長の居木井為五郎警部補の方である。
ここよりコピペ

平沢貞通が小樽の実家で逮捕されたから、62年目の夏を迎えた。平沢は生前、私との面会の際、いつも穏やかな話をするのが常であった。だが、逮捕のことを思い出し、話すときは、顔色を変え、居木警部補と平塚八兵衛に、非人道的な扱いを受け、取調べで肉体的拷問を受けたことを、激しく話していた。
 「秘録・帝銀事件」では、その逮捕と取調べの状況も詳しく記している。

私自身は平沢の自白は「虚偽」だと考えますが、その虚偽自白が「拷問による強要されたもの」ではない可能性もあります。

平沢は、虚言癖や記憶障害や判断力低下をもたらすコルサコフ症候群(狂犬病予防接種の副作用)にかかっており、過去の銀行詐欺事件や帝銀事件の自白もコルサコフ症候群による虚言ではないかと指摘する意見があります。

拷問があったのが事実だったとしても、平沢にはコルサコフ症候群があり、取り調べをした刑事の顔をはっきり覚えていない可能性があります。

平塚八兵衛は(おそらく)取り調べには関与しておらず、取調室にいたとしても取り調べ自体はしていなかったと思われます。