2002年3月29日になされた徳島地検による捜査報告の後、遺族は有力情報を募集するため、情報提供者に総額300万円の懸賞金を支払うことを決めた。
「懸賞金」という最後の手段に出ようとする遺族を、日本テレビが取材することになった。
(以下、手記からそのくだりを抜粋)
地検の出した曖昧な結果のまま、事件はどんどん人々の記憶の中から消え去ろうとしています。
このままでは、兄の死は、真相が分からないままで終わらされてしまう。
両親は事件を解決するため、目撃情報に懸賞金をかける運動をしよう、と言い出しました。
私は、今さら懸賞金をかけても目撃証言など出てこないように思いました。
人通りの少ない夜間の山道で事件を目撃した人がいるとしたら、それは加害者の関係者しか考えられないからです。
仲間割れでもしない限り、情報が得られるとは思えません。
また、懸賞金を目当てに関係のない情報も寄せられ、余計なトラブルも増えるでしょう。
それでも両親は、一握りの希望でもある限り、それに賭けたいと言います。
半年以上話し合った結果、私たちは目撃情報を提供してくれた方に、総額300万円の懸賞金を支払うことを決心しました。
どんなことでもいい、少しでも一歩でも前に進みたい、事件を人の記憶から消し去ってはいけない、という思いからです。
(中略)
「懸賞金」という最後の手段に出ようとする私たちを、日本テレビが取材することになりました。事件を風化させたくないという願いに、救いの手を差し伸べてくれたのです。
(中略)
2002年の春に始まった湯浅ディレクター(日本テレビ報道局)の取材は、半年以上にも及ぶ徹底したものでした。
着ていた洋服は長袖から半袖になり、灼熱の時を過ぎて、秋を迎えていました。
中でも有り難かったのは、杏林大学法医学教室教授であり、東京都監察医でもある佐藤喜宣氏が兄の死因について検証してくれたことでした。
「エアバッグで人が亡くなることはありますが、この事例においてそれは考えにくいでしょう。大動脈というのは、切れないように周囲の骨や組織に守られているのです。エアバッグのような広い面の鈍体が当たったならば、当然、その周辺にある食道や気管などの臓器も傷付いてなければ不自然です。大動脈のみが選択的に損傷を受けるということは、他の臓器との強度の比較においてあり得ません。
70歳の老人だとしたら、動脈硬化で血管が弱くなっていたということもありますが、30歳の健康体の男性を同じに考えることはできません。
実際にご遺体の臓器には傷がなく、大動脈だけが切断されているわけですから、作用面が小さな鈍体がピンポイントで当たったという、解剖を担当された(徳島大学医学部の)医師が出した一番最初の所見は正しいと思われます。
胸部大動脈が損傷した場合、血圧の低下とショックによって意識が低下し、運動という高度な行為は不可能になります。当然、(ガードレールへの衝突現場から遺体発見現場までの)8.2kmを本人が運転したとは考えられません。
以上のことから考えて、この男性がエアバッグによって致命傷を負ったという警察の見解には、合理性がありません」
佐藤先生は、こうはっきりと、警察の判断を批判していたのです。
そして東京にある交通事故対策総合センターも「エアバッグで怪我を負うことはあるが、このような事例で亡くなるような致命傷を負うことは考えられない」と答えました。
3年近く積み上げてきた独自調査の結果、私が弾き出した答えには間違いはなかったのです。
湯浅ディレクターの執念の取材は、どん底にいた私の心に光を当ててくれました。
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警察に対して辛らつな表現の目立つ妹の手記だったが、必ずしもそうではない部分もあった。
その意味で印象に残った部分を抜粋してみると・・・
・・・いつしか子供の頃の「おまわりさんは困っている人の力になってくれる正義の味方だ」という考えは、姿を消していきました。
(中略)
見回りのパトカーや駐車違反の取り締まりをしている警察官を見ると、そんなことをする前にすべきことがあるのではないか、とさえ思ってしまうのです。
そして(県警捜査一課による)再捜査の結果説明を聞き、彼らを信頼する気持ちは、まったくなくなりました。
そんな時、他県の警視の方とお会いする機会がありました。
見るからに警察官という風貌で、ガッシリとした浅黒い男性です。
私は彼に警察に裏切られた、と訴えました。正義の味方だと思って信用していたのに、傷つけられてばかりだと。
「仰っていることは本当でしょう。警察官がそういう態度を取るのは、同じ警察官である私にも理解できます」
と彼は言いました。
そして時間をかけて、母と私の話を聞いてくれたのです。
最後に彼は、「きっと真実を分かっている警察官はいます」という言葉を残しました。
他にもたくさんの県警の警察官と、いろいろな話をしました。
みなさん私の話を聞き、警察官の取った態度が理解できるというのです。
なぜ理解できるのに、やめられないのでしょうか。
悪いことは悪いと認め、同じ過ちを繰り返さないための教訓にできないのでしょうか。
しかし彼らとの出会いは、少しずつですが私の心を動かし始めていました。
そんな時に、県議会の場で(再捜査を担当した徳島県警刑事部捜査一課の)E警部と再会したのです。
私の姿を見つけ、思わず立ち止まった彼の表情が、私には凍り付いているように見えました。
本音で話してくださる警察の方と会って話をしていくなかで、私にはE警部が悪い人には思えなくなっていました。
確かに彼の口から出てくる言葉には傷つけられました。
でも怒鳴ったり、感情的になりながら「自分にも家族がいるから、してあげられないことがある」と言ったE警部。
「一応・・・」と言いながらも、兄の仏壇に手を合わせた彼の姿が、いまや、どこか人間のにおいが残っているように思えるのです。
通常であれば、県議会の場には管理職である警視以上の人間が呼ばれます。その場に、管理職ではないE警部がいたことにも驚きを感じました。彼は自分の意志で来ていたのかもしれません。
(中略)
また、遺体発見現場での同時刻検問や、鑑識作業などで目にした現場の警察官たち一人一人は、本当に一生懸命働いていることも分かりました。
それよりも、E警部が手を合わせている隣で、ずっとタバコを燻らせていたN次長、監査をおこなわない元阿南署長の県警主席監察官、そしてそれらを全て「よくあること」と片付けてしまう県警幹部たちの態度こそが問題なのです。
嫌なことは全て部下に押し付けるという組織の考えに、一生懸命頑張っている現場の警察官が苦しめられているのではないでしょうか。
警察官という仮面の下に人間の心があれば、苦しむこともあるでしょう。その言えない苦しみが、県議会で会ったE警部を立ち止まらせたのではないか、と思わずにはいられませんでした。
まだまだ青い私は、そう思いたいのかもしれません。
(中略)
そんなある日、私は退官した元徳島県警の警察官の方とお会いすることがありました。
それまで他県の警察官の考えを聞くチャンスがあっても、徳島県警の中にいた人の話を聞くことはありませんでした。
私はいままでの事件報道をビデオテープにおさめ、彼に手渡しました。
1週間ぐらい経って、母が連絡を取ると、電話口には奥様が出られました。
母の声を聞いた途端、奥様はただただ泣くばかりです。
奥様の話では、元警察官のご主人はビデオを観ながら泣いていたといいます。
そして観終わると一人にしてくれ、と部屋を出ていき、ご飯も食べなかったのだそうです。
「会いたい、会って話を聞きたい」と強く思いました。
私の申し入れに、彼は時間を作り、話をしてくださりました。
「徳島県警の人間が遺族の方にしたのは、たぶん本当にあったことでしょう。理解できるだけに恥ずかしい。元警察官として、本当に申し訳ない」
と深々と私に頭を下げました。
私の目から涙が溢れ出ました。
「謝らないでください。いいんです・・・」
分かってくれて、ありがとうございます。本当に心からそう思いました。
徳島県警の人間として、一人でも私の言葉を信じて理解してくれる人がいたことに、素直に感謝しました。
その時、私は初めて警察関係者の前で涙を見せたのです。
(引用終わり)