この事件は、1990年3月18日午後12時20分頃、千葉県我孫子市を流れる利根川にて、うつぶせになって浮かんでいる男の子の腐乱死体を釣り人が発見した。
千葉県警が死体を調べたところ、2月末に家出をしてから行方が分からなくなっていた東京都文京区在住の小学6年生と確認。状況から他殺の可能性が高いとして捜査が行われたが、犯人を割り出すことは叶わなかった。迷宮入り事件。
家出
拓磨くんは千葉県船橋市立宮本小学校の6年生。母子家庭で、母親の要子さんの仕事の都合から1990年1月に東京都文京区へ引っ越したが、卒業間近だったこともあり電車で同小学校へ通い続けていた。活発で明るい性格から友達も多く、船橋市に住んでいた頃は夜遅くに帰宅する要子さんをアパートの2階から階段を駆け降りて迎えに行くなど、母親との関係もまた良好だったと近隣住人は証言する。
その一方で、拓磨くんは6年生に上がった頃から荒れた様子を見せ始めていた。東京へ引っ越す前後から行動の変化は顕著になり、それまで一度もしなかった無断外泊を立て続けに5回ほど繰り返した。同級生たちはリュックサックやビニール袋に衣類を詰めて登校している姿を見ている。
拓磨くんは外泊先を答えようとせず、時には体にアザをつけて帰ってくる日もあった。母子の気持ちはどんどんズレていく。そして決定的な機会となったのは、1990年2月17日(土曜日)のこと。15時半過ぎに帰宅した拓磨くんは唇が倍以上に腫れ、体中に引っ掻き傷があったほか、足には縛られたような跡もあった。明らかに異常である。母親は息子を問い詰めるが、拓磨くんは反抗的な態度を取るだけで何も話そうとしない。遂には「家を出ていく」と言い出した。
翌月曜からは全身の傷があまりも酷いため学校は欠席を続ける。22日(木曜日)夕方〜23日明け方まで再び口論。最後は拓磨くんが「学校に行きます」と言ってどうにか場が収まって就寝したが、数時間後に母親が起こしに行ったところ既に拓磨くんは姿を消していた。部屋からはランドセルも失くなっていた。
愛する息子が帰ってくることを信じたが叶わず、2月26日に警察に捜索願を提出する。県警は事件に巻き込まれた可能性が高いとして、3月13日より公開捜査開始。拓磨くんは家出前に「卒業式に出れば文句無いんだろう」とも言っていたが、17日の卒業式にも姿は見せることはなかった。そしてその翌日18日、冒頭のとおり男児は利根川で惨たらしい死体となって発見された。
捜査
死体は全裸で、衣類及び持ち出したはずのランドセルは発見されていない。そして両足は透明のビニール紐と黄色の布製の紐と2種類の紐を絡ませるようにしてきつく縛られていた。また、左肘にも輪っか状にした紐が絡まっており、全身の傷の具合などからみて両足だけでなく全身をきつく縛られていた可能性が高いとされる。
死因は水死。当初は生きたまま重石をつけて川に投げ込まれたと見られていたが、臓器内には川の水から検出される植物性のプランクトンが含まれなかったため、何処か風呂場などで溺死させられた後、紐で全身を縛って利根川に遺棄されたものと判断されている。一方で、頭部や両足の皮下出血は生前にできたもので、激しく乱暴されていたことを示しているという。
死亡推定日時は2月25日から3月4日頃。したがって、拓磨くんは家出をしてから少なくとも数日間は何処かで生きていたと考えられる。胃の中は空っぽで、食事を取れていたかは不明。なお、死体の発見場所は流れの緩やかな地点だったため、上流から流れ着いたのではなく、発見場所と遺棄場所はそれほど離れていないとみられる。
やさしいおじさん
拓磨くんの失踪前には無言電話が架かることが何度かあった。しかし無言電話を切った要子さんに対して、拓磨くんは「僕にかかってきた電話じゃないのか!」と問い詰めた。おそらくこの電話の主こそが「やさしいおじさん」であり、要子さんが働いている間に拓磨くんと電話で連絡を取っていたのだろう。そして電話に要子さんが出た場合は身元を特定されないよう無言でやり過ごしたわけだ。これを踏まえると拓磨くんもまた相手の電話番号を知っていたと思われる。
前日の行動
失踪直前の2月17日、拓磨くんが大怪我をして帰宅した日であるが、この日の行動は特に注目されている。というのも、この日は登校日で午後12時過ぎに同級生と共に下校しているのだが、この時点では拓磨くんは顔に傷を負っていなかったのである。しかし上述の通り、15時半過ぎに東京の家に戻った時は顔を含め全身に怪我をしていた。拓磨くんは「学校で怪我した」と答えたとのこと。詳細を追ってみると、同級生Aくんと学校を出た拓磨くんは、いったんAくんの家に立ち寄り、13時過ぎには要子さんに対して「これから帰る」と電話した。そして13時半過ぎ、2人はJR東船橋駅近くで別れた。Aくんによれば、拓磨くんはJR東船橋駅ではなくJR船橋駅方面へ歩いて行ったという。自宅へ帰るのであれば真っ直ぐ東船橋駅から電車に乗るべきところ、この"方向転換"は不可解に映る。帰宅時間から逆算すれば行動できたのは徒歩30分圏内のはずだが果たして…。
なお、拓磨くんはAくんとの別れ際に「昼食代」として500円を借りていったという。これをバス代に使ったのではないか、とする推理もある。それでも行ける場所は東船橋駅から宮本小学校周辺、あるいはかつて母子が暮らしていた住宅のあたりまでに限られる。東船橋駅から自宅に至るまでの約1時間20分を除けば空白の時間は僅か40分ほど。この間に一体何があったというのだろうか。
同じく2月17日、要子さんは警察相手なら拓磨くんも本当のことを話すのではないかと考え、知人男性に警察官のふりをして電話をかけてもらった。この時の約15分の会話は録音テープが残っている。そこでは、やはり拓磨くんは「やさしいおじさん」の存在を明かし、その人物は「ららぽーと」の近くに住む30〜40歳ぐらいの男性で、「1月からおじさんの部屋の鍵を預かっている」などと話していた。上記の経緯からすると、正にこの日に「おじさんの部屋」を訪れていたかもしれないわけだが、しかしそのことについては最後まで話さなかった。一方で、Aくんを含む同級生たちは誰一人として拓磨くんから「おじさん」の存在を聞かされていないという。
結末
家出前後の目撃証言が非常に少なかったこともあり、死体発見当初からほとんど進展の無いまま殺人事件としての公訴時効を迎えた。拓磨くんが「お母さんよりもやさしい」と表現した30〜40代の「やさしいおじさん」、無断外泊の相手先、無言電話の主、2月17日に大怪我を負わせた人物、そして拓磨くんを殺害して死体を遺棄した人物…これらは全て同一人物と考えるのが自然だろうが、その身元は明らかにならなかった。拓磨くんは「やさしいおじさん」と言いつつも、その人物の行動は児童に性的虐待を行う異常性癖者としか思えない。それでも拓磨くんは「おじさん」について頑なに口を閉ざしていた。一体どうやってやり込めたのだろうか。ひょっとしたら金銭で釣ったのかもしれない。謎が多くなんとも不気味な事件だ。
考察
この「優しいおじさん」や、無言電話などは母親と知人男性(交際相手?)の作り話で、虐待で風呂の中に顔をつけ、挙句死亡してしまった、という真相もあり得るかもしれません。
被害者の精神的、肉体的なショックは相当なものだっただろう。