八王子スーパー強盗殺人事件③~犯人像、容疑者について~ | 全曜日の考察魔~引越し版

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犯人像

特別捜査本部の現場検証の結果、実行犯がスーパー事務所内に残した遺留品および遺留物により、以下の事実が判明した。
犯人の足跡は、事務所内で約10個採取され、実行犯は1人と断定された。靴のサイズは26センチメートルと判明した。足跡の付着物からは、微細な鉄粉と粘土、コケが採取された。鉄粉は溶接の際に飛散したと見られ、実行犯は溶接作業に従事していたか、鉄工所などに出入りしていた可能性があると見られている。靴底は広島県のゴムメーカー製で、運動靴など約30種類で使用されていた。多摩地区では、パルコ吉祥寺店、調布店などで、10,000円から15,000円で販売されていた。
被害者に対して至近距離から発砲し、3人とも脳幹が確実に撃ち抜かれていたことから「銃の扱いに詳しく、撃ち慣れている人物」と推測されている。また何の躊躇いもなく人間の頭部に向かって銃撃し、急所を撃ち抜き確実に殺害するという犯行手口は、一般の人間には難しいとされ、ヒットマンなどの殺害に手慣れた人物の犯行である可能性も考えられている。犯行に使用されたフィリピン製の拳銃スカイヤーズビンガム38口径は、米コルト社製拳銃の模造品として知られ、性能が低く、粗悪で命中率が低い銃である。この点からも、犯人は「銃の取り扱いに極めて詳しく、知識もある」人物だと推測される。
被害者を縛るために使った粘着テープには、犯人のものとみられる指紋の一部が付着していた。事務所内の机には手袋痕もあるため、「犯人が粘着テープを使う際に手袋を脱いで素手で扱った」可能性がある。また粘着テープには、被害者と異なるミトコンドリアDNAが検出されており、犯人のミトコンドリアDNAとされている。

犯人に関する報道

週刊文春2001年11月22日号の報道

「犯人の実名を挙げた、暴力団関係者の手紙が存在する」と報じた。この手紙は、別件で拘置されていた暴力団関係者が、別の拘置所の知人に宛てたものである。この手紙は関西系暴力団の舎弟から兄貴分に宛てたもの。舎弟が犯人を知っており、「犯行に使われた拳銃を捨てに行った」と、自ら事件に関ったことをほのめかす記述も含まれていた。
そこには、犯行の動機は金庫の中の金がやはり目的で「(内部の事情にくわしい人間の)手引きにより事務所内に入る」とあり、被害者の一人である稲垣さんと「ナンペイ店長」(大和田店の元専務)が深い関係である、とまで書かれていた。
この元専務はこの稲垣さんとの関係を「絶対にない」と否定していたが、稲垣さんの周囲には「関係を迫られた」などと云っているのを親しかった人々が耳にしている。元専務も、最後は「稲垣さんには誘惑されたけど断った」と、微妙に説明を変えている。
さらに犯人の詳細な情報を明記している。その名前は「小野寺トオル」。手紙によると、この人物は「元自衛官」であり、現在は「クリーニング店の店員か、新聞配達員」だという。
捜査関係者も「あらゆる可能性から、あらゆる人間を調べたが唯一何者か分からなかった人物」と打ち明けた「小野寺」を、手紙ではさらに「清瀬市旭ヶ丘団地で起きた交番の警官襲撃事件の第一発見者」とまで言及している。
「週刊文春」の調べによると、陸上自衛隊に所属した「オノデラ・トオル」は9人。だが、年齢や在籍期間などを考慮すると、該当されると思われる人物はいなくなるという。
ただ、清瀬市の警官襲撃事件の第一発見者は、元自衛官で、現在は新聞配達員。手紙の人物に近い。「ナンペイ事件」の頃は立川の販売所に勤務している。
「文春」の取材で本人は全く関りがないとしつつも、自分の経歴を語る人物として「前の販売所に突然トンズラしたヤツがいるが、そいつは何かにつけて僕に張り合ってきたから、そいつかも」という証言をしている。
さらに、この手紙の真実味は、報道されていなかった金庫の中の金額を正確に知っていたことにある。報道では400~500万となっていたが、当時の「ナンペイ大和田店」の責任者だった元専務によると、実は「交通事故の示談金で、もう300万円は入っていた。このことは警察には云っていない」と証言している。
 手紙には金額を「700~800万」と明記していて、辻褄が合う。

産経新聞、日本テレビ等の報道(2003年)

「2002年(平成14年)に愛知県にて銀行強盗未遂で現行犯逮捕された70代(報道当時)の男が、事件に関与しているのではないか?」との報道が行われた。その理由としては、

  • 「この男が、大阪厚生信用金庫深江支店で起こしたとされる強盗未遂事件(1997年)」で使用された銃弾の線条痕が、本件の現場で発見された銃弾のものと酷似している。
  • 事件当時、男が八王子周辺に居住していた。

などが挙げられた。しかし、それ以上の証拠や具体的な関与は不明で、逮捕に至っていない。


この人物は警察庁長官狙撃事件で「黒に近い男」と言われたあの中村泰受刑者(現在92歳)ですね。『新潮45』2004年4月号および5月号に寄せた手記では、長官狙撃犯を自称する一方、ナンペイ事件への関与は全面否定している。
2007年7月、大阪地方裁判所は、「男の実名を挙げ、殺人鬼と決め付けた週刊新潮」に対し、「記事には真実と信じる相当な理由はない」として名誉毀損を認定し、賠償金80万の支払いを命じています。

中国の元日本人死刑囚の証言

2009年(平成21年)夏ごろに覚醒剤所持の罪で逮捕起訴され、すでに中国で死刑が確定していた日本人死刑囚の武田輝夫(執行当時67歳)が「八王子の事件に関する情報を知っている」と、中国公安当局に証言した」と報じられ、9月に日本の捜査当局は捜査員を中国に派遣し、武田元死刑囚に面会して事情を聴いた。日本では9都県で資産家宅を狙った計17件の強盗事件(被害額は約6億円)を犯した「日中混成強盗団」のリーダー格でもあった武田元死刑囚は、警視庁の事情聴取に「日本で強盗団に加わっていた中国人の男が実行犯を知っているかもしれない。日本で一緒に強盗団にいた時に八王子の事件が話題に上った際、その詳細を知っていた」と証言した。武田元死刑囚は、中国・大連刑務所にて2010年4月9日午前9時(日本時間同10時)、死刑が執行された。

カナダ在住の中国人

捜査本部は、前述の武田元死刑囚が言及した中国人の男の素性を突き止めた。この何亮氏は福建省出身で、1994年4月に日本で不法滞在により摘発されて本国に強制送還されたが、同年夏ごろに日本へ密入国した。何氏は日本国内で活動する中国人強盗グループのメンバーであった。何氏は、日本人男性名義のパスポートを不正に使用して2002年4月に日本を不法に出国したとされ、2006年10月に難民としてカナダに移住した。その後にカナダの永住権を取得してトロントで妻子とともに在住し、食料品店で勤務していた。また、何氏については、警察が別の事件で摘発した「日中混成強盗団」のメンバーが聴取時に語ったところによると「この男が八王子事件の前に、スーパーの現金保管状況などの内部情報を別の中国人に流した」と証言している。
日本政府はパスポートを不正使用した旅券法違反容疑で逮捕状を取ってカナダ政府に身柄の引き渡しを請求した。これに対し、2012年9月10日に地元裁判所は身柄の引き渡しに応じる決定をおこなった。弁護人は決定を不服として控訴した。この後、控訴裁判所も2013年9月に、引き渡しを認める判断を行った。なお、この身柄引き渡しに関連して、日本の司法当局がカナダの司法当局に対し、「旅券法違反容疑以外で男を拘束したり、起訴して裁判にかけたりしない」、「日本での刑事手続終了後に中国に引き渡さない」などと確約したことが報道されている。それにより、2013年11月に何氏はカナダから日本へ身柄が移送され、逮捕された[17]。同年12月5日に旅券法違反で起訴されたが、八王子事件に関する供述は得られていないまま、2014年9月18日に懲役2年・執行猶予5年の有罪判決が下され、9月19日にカナダに強制送還された。

指紋がほぼ一致している日本人

2015年(平成27年)2月、「約10年前に死亡した日本人男性の中村稔(仮名)氏の指紋と、犯人のものと思われる指紋がほぼ一致していたことが判明」という記事をメディアが報じた。
捜査機関は特殊な薬品を使って、ガムテープの粘着面から犯人のものと思われる指紋の一部を採取することに成功した。警視庁が保管する1000万人以上の指紋データベースと照合したところ、8点の特徴点の一致を確認した。8点が一致する確率は「1億人に1人」と言われていて、一般的には同一人物だと考えて差し支えないという。しかしながら、警察や司法当局が同一人物と断定出来る基準として定めている「12点」には足らないため、完全に一致した証拠として採用することはできず、被疑者だと断定するには至らなかった。
中村氏は元運送業関係者で、指紋を照合した2015年時点から遡って約10年前に60代で病死していた(つまり犯行当時は50代ですね)。中村氏については、事件が起こる1か月ほど前に中村氏の息子が交通事故を起こして被害者から多額の損害賠償金を請求されていて、その支払いに困っていたという情報があったことから既に捜査線上に浮上していた。また中村氏は、事件発生当時は多摩地域に住んでおり、現場で目撃された車種と同じ白いセダンタイプの車を所有していたため、参考人として事情聴取もされていた。
中村氏の指紋の記録は、前歴者らの指紋を集めた警察庁のデータベースに残っていたものである。指紋は中村氏が死亡する12年前に盆栽の窃盗容疑で逮捕された際に採取されたという。
一方で、当時の勤務先に残っていたタイムカードの記録により、事件が起きた時間帯のアリバイが成立する可能性が高い点や、親族から採取したDNAの鑑定不一致などから実行犯ではないとの見方も強まっている。警視庁は男性が触れたガムテープを周辺の人物が使用した可能性などを視野に入れ、捜査を継続している。

現場周辺にいた身元不明の人物

事件から23年目を迎えた2018年7月、警視庁は新たに閉店間際のスーパーナンペイで買い物をした若いカップルについての情報を公開した。カップルは事件当日の20時56分頃、焼きそば・果物・お好み焼きなどを購入したうえで、スーパーの駐車場に向かい白色セダンに乗車して立ち去った。2人の身元は判明していない。警視庁はこのカップルが犯人を目撃した可能性があるとして、行方を捜すと共に2人の特徴をHPに公開し情報提供を求めている。
同日、警視庁は「事件前に現場事務所に出入りしていた女性」についての情報も公開した。事務所の灰皿に口紅が付着した吸い殻が残されており、従業員や出入り業者のものとは一致しない女性のDNA型が検出された。この人物についても身元が分かっておらず、警視庁は一般からの情報提供を呼びかけている。

線条痕が酷似した拳銃を所持していた暴力団組員の男

2009年8月に暴力団組員の男(2020年当時50代後半)の自宅から押収された拳銃と線条痕が酷似していたことが、2020年7月に報道された。男は覚醒剤取締法違反などで2020年時点でも服役中であるが、2009年当時に「拳銃は2009年5月頃に手に入れた。購入先は言えない」と供述している。警視庁は男が事件に関与した可能性は低いとみているが、この拳銃が事件に使われた疑いがあるため、交友関係等を調べている。

ナンペイ専務

捜査一課がスーパーナンペイの専務にして大和田店の店長でもある専務兼店長に一報を入れると、この店長も現場の事務所に駆けつけることになった。この専務もクセの強い人物で、高級外車で野菜を仕入れに行き、派手な腕時計やアクセサリーを好んだという。交友関係も派手で、無警戒にも暴力団関係者などを事務所に招き入れて時計の自慢などをしてしまう人物であったという。
しかも、この専務兼任店長は捜査一課からの第一報を受けた際に、「そんなバカな。三人とも殺される訳がない」と意味深な発言をし、かつまた、現場検証としてナンペイ事務所にやって来たときには、47歳女性が目を見開いたまま絶命していたが、その目を見て、「瞳がじっとこちらを見つめているようで怖かった」と、これまた意味深な発言をしたという。実際、専務兼店長は犯行現場へやって来た際、47歳女性の遺体に目をとられるが余りに女子高生二人の遺体を踏みつぶしそうになるなど不審な点が余りにも多かった為、第一発見者の男性に次いで二番目にマークされた。
その専務兼店長への嫌疑が捜査陣に内部狂言説のようなもの生んでいった。専務兼店長がカネを使い込むなどした為に強盗事件を画策したという筋書きで、本来は単なる狂言強盗の計画であったが何かの拍子で殺人事件になってしまい、尚且つ、どう考えても殺害される理由が見つからなさそうな高校生アルバイトが殺害されてしまい、それ故に「三人とも殺される訳がない」と漏らしたのではないか? 何かしら事情を知っていながら、そこで突発的なアクシデントが発生し、高校生二人が殺害された状況というものが考えられ、当初、徹底的にマークされたが、この専務兼店長には実行犯グループに繋がる線が全く無かった事から、シロに確定。

不動産会社社長

更に第三の男が捜査線上に浮上する。後に、47歳女性との間で別れ話のモツレから和解金として五千万円を支払う立場にあった元交際相手の不動産会社社長が、三番目にマークされた人物だという。この不動産会社社長も当時、隆盛だった「地上げ」に携わっていた人物であり、暴力団にもコネクションを持っていた。この五千万円を支払うことになっていた不動産会社社長を、富坂聰氏は仮名で「梅原」と当て、一橋文哉氏は仮名で「藤城」と当てている。
ここも非常に複雑で、47歳女性は不動産会社社長とは異なる「或る愛人」との関係解消に当たって手切れ金を貰えるという約束をしていた。ところが、その手切れ金の約束が守られそうもないので、この不動産会社社長に手切れ金の回収を依頼したという。しかし、後に、この不動産会社社長が手切れ金を回収したのに当の47歳女性には一円たりとも渡さなかったという具合の、やや込み入った金銭トラブルに発展する。
この不動産会社社長は暴力団にコネクションを持っていた。しかし、47歳女性もその金銭トラブルに激怒していて、別の暴力団関係者に相談をするなどしたために、不動産会社社長宅には銃弾が撃ち込まれるなどの物騒な展開になったという。この事態に双方が或る右翼関係者を仲介にして和解し、その和解金として不動産会社社長は47歳女性に五千万円を支払うことになったという。実際に47歳女性は飲み仲間らに「近々、積立保険が満期になって五千万円が手に入る」等と吹聴していたという。
この不動産会社社長こそが、事件の黒幕であるという見方が強まっていく。その和解金五千万円が47歳女性に渡った痕跡が無いといい、且つ又、その不動産会社社長にしてみると長年にわたってパトロンをしてきており、通算すれば二億円以上、月々、銀行口座に百万円を振り込んでいたのに、和解金も何もないと非常に怒っていたとされる。「あの女狐め。いつかぶっ殺してやる」ぐらいの勢いで悪態を吐いていたという証言があり、愈々、この不動産会社社長に疑念が集まっていったのだという。
この人物は最後の容疑者として警察に「Z」と呼ばれていた。

その他

この事件が発生した年はオウム真理教による事件が多発しており、オウム真理教の犯行関与説も浮上しているが解明できていない。また、オウム真理教は事件の4ヶ月前に発生した未解決事件である警察庁長官狙撃事件にも関与説が浮上している。こちらは先述の中村受刑者が真犯人だと自称しています。