絆ツアーを知る | 全農林のブログ

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1968年(昭和43年)生まれの私にとっては、昭和の三大台風と言われる「室戸台風」も「枕崎台風」も、ましてや「伊勢湾台風」も記憶にない。

長い人生、誰にでも一番初めの災害の記憶というものがあると思う。私にとってそれは、1976年、昭和51年となる。

当時私は8歳で、9月7日から岐阜県内で降り始めた長雨のうえ台風17号の影響を受け、長良川の決壊による大規模な水害となった、「9.12水害」である。

その後、阪神・淡路大震災を引き起こした1995年、平成7年1月17日発生の「兵庫県南部地震」まで時間は過ぎていく。

神戸に住む親戚が被害に遭い、私にとって震災というものが一気に身近な出来事となった。

しかし、時間が経つとともに日々のトップニュースが次々と更新され、先の大震災すらメディアの関心も薄れていくなかで、2011 (平成23年)11 14時46分18秒、東北地方太平洋沖地震 が発生した。


宮城県 牡鹿半島 の東南東沖130km の海底を震源 として、マグニチュード  9.0、最大震度は7震源域 岩手県 沖から茨城県 沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲にまで及んだ。

震度6強だけでも宮城、栃木、福島、茨城の4県の36市町村と仙台市の1区で観測され、場所によっては波高10m 以上、最大遡上高40.1mにも上る大津波が発生し、東北地方 関東地方 太平洋 沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。

誰もが、「明日は我が身」と感じた「東日本大震災」である。

私も、「本業を通じて社会貢献できれば・・・」などと通常に考えている場合ではない惨状に、会社として寄附をする、物資を送る等々、岐阜にいながら出来ることを行っていた。

被災地の日々のニュースを気にしながら、慌ただしく1年が過ぎてゆく中、ずっと気になっていた被災地の海岸沿いに佇む樹齢250年の一本松。

岩手県陸前高田市の景勝地、高田松原で震災の被害から唯一残った奇跡の一本松

自分にとっても他人事ではなかった衝撃的な震災においては、遠く岐阜にあっても「希望であれ」という気持ちに駆りたてられた。

不思議なもので寄附等の関わりを持つと被災地のことが身近に感じられ、一度は被災地を訪れたいと思うようになっていた。

やっと、平成24年3月25日に青森空港に降り立ち、岩手県の方から八戸、そして陸前高田と被災地を訪れるべく「東北復興支援、絆ツアー 」に参加していた。

ボランティアでなくても被災地を訪れ、目で見て感じたことを家族や友人・知人に伝えてほしいという発信に共鳴したことも大きな理由ではある。