健康は、不健康にならないと意外に気づかない。

若いころなどは無尽蔵に体力があり、3日寝なくても何ともなかった。

 

そもそも健康なんて言う考え方も無く、興味が無かった。

今思えば、何も考えず、何も感じないその頃が 健康 絶頂期だった。

 

しかし、歳を取り、健康診断の数値は如実に悪くなり、体力も低下し、疲れも抜けにくくなってきた。

 

そんな年代に差し掛かったころ出会ったのが禅密気功だった。

 

完全体とは言えないが、禅密気功に出会い、それを実践する事で本当なら 不健康 であるところを 健康体 へと導いてもらったと思っている。

しかし、残念な事に、禅密気功を始めたから、健康になったとは言い切れない。

何故なら 禅密気功を続けている自分 禅密気功をサボッた自分 を比較できないからである。

よって、今の自分の健康が本当に禅密気功の賜物であるとは言い切れない。

しかし、この夏、やはり禅密気功は相当健康に貢献していると思われる事が自分の目の前で起こった。

 

今年の夏は異常に梅雨明けが早かった、気温の上昇も例年より早く、体が気温に適応する時間が無かった。

その被害に会ったのが私の母親である。

 

以前にも書いたが私の母親は禅密気功を始めた事で、びっくりするほど健康になった。(前の記事を参照)

健康になった、表れの一つに 脚部のむくみが無くなった事がある。

脚のむくみに関しては、だるさや、疲労など本人には相当辛かったらしいが、どの医者、どの医者に行っても、加齢ですね、身体にはどこにも悪いところはありません、安心してくださいと言われ、それでお終いである。

 

医学的に悪いところが無くても、本人が辛いことは間違いないので、本人的には悪いところはどこかに有る状態であった。

 

しかし禅密気功を始めた事で、現代医学では何ともならなかった、足のむくみが見る見る治っていった。

日に日に足が細くなっていくところを私は見ていたので、禅密気功の効果に驚いた。

 

しかし、今年の夏、梅雨明けに対応できなかった私の母親は 禅密気功をさぼりだした。

私が、座った状態でも続けないと、ガタガタになるぞと言っておいたが、その言葉は母親には届かず、さぼった状態が1週間ほど続いた。

ちょうど1週間さぼったぐらいから、足がむくみ始め、昔のようなむくんだ足がそこに表れた。

 

母親:どーしよう、足がむくんできた。

自分:ほれ見ろ、座ってでもやらないからだ。

母親:また、続けないと。

 

そして母親はまた体操(禅密気功)を日々の日課に取り入れた。

 

そして、1週間が経過した。

 

母親の足はむくみが取れて、また細くなった。

 

自分の中では、禅密気功は相当健康に貢献できる気功であると確信に近いものがあったが、自分の母親が勝手に人体実験に近いことをして、ほぼ証明に近いことをやってしまった。

 

母親:やっぱり体操(禅密気功)は止めれない、止めるのが恐ろしい。

 

と言う結論に至ったようである。

 

人は自分が持っている物には意外と気づかないが、失ったときにその大切さに初めて気づく。

健康とはまさにそういった部類の物で、失った時に後悔する。

 

人はどれだけ頑張っても努力してもやがて死ぬ。

永遠に健康と言うのは残念ながら無理であるが、自分の心掛け次第では健康である時間を伸ばすことができる。

 

継続は力なりと いう言葉は聞くが、目の前でそれが起こった。

 

自分の戒めでもあるなと思う出来事であった。

 

そして私の母親は自分が頼んだわけでもないが、勝手に体操(禅密気功)の事を人に紹介するようになった。

どうなることやら・・・