巨星列伝~“欧州最強の男”ミッシェル・ウェーデル氏~ | 全日本武道具 空手道『道場訪問記』

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全日本武道具空手道『巨星列伝』、今回はかつて極真空手において“欧州最強の男”と呼ばれたミッシェル・ウェーデル氏をご紹介させて頂きます。



1973年に極真会館に入門し、1979年に開催された第2回全世界空手道選手権大会に出場されております。本格的に頭角を現されたのは1981年のヨーロッパ選手権で、重量級で優勝。大会を観戦されていた故大山倍達総裁も高評価されたそうです。




1984年に開催された第3回世界大会では今でも名勝負として語られる増田章選手との激突となりました。両者一歩も引かないプライドとプライドの戦いは3回の延長までもつれ込み、判定で増田選手に軍配があがりましたが、この時の事を増田選手は…


「こんな強い突きはもらった事が無かった」

「本戦の判定で負けたと思った、「え?まだ戦わなきゃいけないのか」という心境になった」


と語っており、この敗戦はウェーデル選手の評価を更にあげる結果となりました。



この戦いの模様も劇場公開映画『世界最強のカラテ キョクシン』に収められておりますが、とにかく突きの強烈さは見ている側にも充分に伝わってくる物凄さで、高い位置から真っ直ぐに飛んでくるその突きは、見るからに重く、強力であった印象が強く残っております。



その後1986年にはなぜか翌年に世界大会が控えているにも関わらず、第18回全日本選手権にエントリーされます。世界大会代表でヨーロッパ選手権覇者でもある有名選手の全日本参戦は、日本人選手にとっても脅威となりました。




案の定3回戦までは全て1本勝ちで勝ち上がりましたが、4回戦で戦った“足技の魔術師”小笠原和彦選手に対し、顔面殴打をしてしまい、残念ながら判定負けとなってしまいました。ウェーデル選手は、全日本出場の理由を「自分の力が落ちてきている事に気付いていたので一刻も早くレベルの高い日本人選手と戦っておかなきゃいけないと思った」と語っておられます。



とはいえ1987年の第4回ヨーロッパ選手権大会では他を寄せ付けない強さで圧勝。後に世界大会優勝者の松井章圭選手を苦しめた実力者であるイギリスのマイケル・トンプソン選手を数秒で戦意喪失に追い込む強さで優勝されております。


そして迎えた第5回世界大会では、1回戦から4回戦まで1本勝ちという相変わらずの強さで勝ち上がり、5回戦ではブラジルの強豪アデミール・ダ・コスタ選手と対戦。延長2回を闘いましたが、残念ながら破れてしまい、ウェーデル選手にとってはこの試合が現役最後となってしまいました。




現役時代から大学の研究員であったウェーデル氏は、30歳で大学教授となり、現役引退後はアメリカミシガン州立大学で教授となるなど、まさしく文武両道を体現された名選手でした。