巨星列伝~内田順久~ | 全日本武道具 空手道『道場訪問記』

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全日本武道具空手道『巨星列伝』、今回は 内田順久氏をご紹介させて頂きます。




丁度世間でK-1がブームとなり、正道会館という団体が全国的に名を轟かせていた同じ頃、フルコンタクト空手やグローブ空手ではない全空連の大会において、内田選手はまさにタイトルを総ナメにしていた有名選手でした。



私自身、NHKで放映された全日本選手権を見ていましたし、殆どのページをフルコンタクト系の有名選手が飾る空手・格闘技雑誌に、全空連の選手として紙面を飾っていたのは内田選手位ではなかったかと記憶しております。


全空連系では珍しくハイキックを多用される組手スタイルは、ただ単に強いではなく見る者を魅了した華やかさがありました。それもそのはず、実は内田選手は全空連系の空手(剛柔流)と並行して、極真会館芦原道場京都支部に所属されていたそうです…いわゆるフルコンタクト空手ですね。




また、これは定かではありませんが、大阪や京都と言えば当時極真芦原道場所属されておられた現正道会館宗氏の石井和義氏が指導されていたのでは…?


実際に本格的に全空連の選手としての活躍は京都産業大学で松濤館流を学ばれてからになると思いますが、そこからのご活躍は皆さんもご存じのとおりですね。




1983年の全日本学生個人選手権で優勝、翌1984年同じく学生選手権2連覇、全日本選手権において史上最年少で優勝、翌年、翌々年も優勝され、翌年翌々年も制し、全日本3連覇も達成されました。


1985年第6回アジア・太平洋選手権75kg級優勝、第2回GAIFSワールドゲームズ世界選手権大会75kg級優勝。


1987年第7回アジア・太平洋選手権大会無差別級優勝、翌88年同級2連覇。はまなす国体優勝。



1991年第9回アジア・太平洋選手権無差別級優勝で4連覇。翌年やまがた国体無差別級優勝。2003年に開催された『DAGEKI FIGHT 03』で判定勝ちし引退されるまでに数々のタイトルを獲得、まさに一時代を築いた名選手であったと言えます。



引退後は『国際実践融合空手道内田塾』を設立され、ご自身が学ばれたフルコンタクト派と伝統派を融合させた最強の空手を目指す道場にて、更新の育成に努力されております。