全日本武道具空手道~巨星列伝~ 今回は、プロレスファンだけでなく、格闘技ファンをも熱狂させた天才、佐山サトル氏をご紹介いたします。
私が佐山選手の試合を本格的に見るようになったのは、新日本プロレスから既にUWFに移籍後でした。というのも昔からのプロレスファンではなく、空手を通じて様々な格闘技に興味を持つ様になったので、皆がタイガーマスクに熱中している時、私はまだその中に入っていない状態でした。
なのでこれまた既に佐山氏がシューティングを始められた頃、タイガーマスクのビデオをむさぼる様に見ていた記憶があります。
それまでもメキシコのプロレス“ルチャ・リブレ”系の選手が来日したり、日本の選手でもトペといった飛び技を繰り出す選手はいましたが、それらの常識を覆す変化自在のスピード感あふれる新技の数々に皆驚き、そして熱中したものです。
新日本プロレス所属時代から名門である“目白ジム”で打撃の練習をしていた様に、早くから様々な格闘技の変化に対する先見の目があった事も特筆すべき才能だったと思います。
打撃に関しては、1977年に行われた梶原一騎氏主催の『格闘技大戦争』で、全米プロ空手1位のマーク・コステロと打撃ルールで対戦し、幾度となくダウンをしながらもKOだけは堪え、無念の判定負け…しかしこの敗戦が佐山氏の打撃に対する意識を更に大きくするエポックメイキング的な一戦だったと思います。
UWF時代は前田日明選手や藤原善明選手と激闘を繰り広げますが、更なる高みと理想を求めて自ら新格闘技“シューティング”をスタートさせます。
当時はUWFも“リアルファイト”的なポジションでプロレスとは一味違うポジションで人気を博してましたが、佐山氏の求める部分は更にショー的要素を排除し、徹底的に打・投・極に拘った競技を追い求めた結果生まれたのがシューティングでした。
更に天才は先を見ます…
総合格闘技ブームの頂点でもあった興行『PRIDE』に対し、「寝っころがってゴロゴロやってるPRIDEのみなさん!」と挑発的な発言などをし、ロシア勢を引き連れてアルティメットボクシングなる大会を開催したり、市街地型実践格闘技として掣圏真陰流なる武道を設立。技としての武道のみならず武士道や精神教育にも力を入れておられます。
最近ではyoutubeという超が付くほど便利な映像ツールがある為、私たちがVHSビデオを小遣いを節約し購入していた頃がありえない状況になってますが、そんなyoutubeでかつて佐山選手が海外武者修行時代の貴重な映像等も見る事が出来ます…
これが…まさしく天才です。