比企一族の末裔、比企能本 その① | ゆうゆうねこの感想ブログ

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突然ですが。

 

皆様、「鎌倉殿の13人」は見ておられますか?

草笛光子さんの「比企尼」。

おそらくずっと筆者の心に残ると思います。

 

先週の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、

比企能員が殺害され、二代将軍頼家の子一幡君も殺害され、

比企一族が滅亡しました。

 

「吾妻鑑」では建仁3年(1203年)9月2日のことと言われているそうです。

(たった一日で??)と私も思うものの、

ここでは「吾妻鑑」の記述に従ってみようと思います。

 

しかし、この時、能員の2歳の男の子と頼家の娘竹御所が助かったとされています。

この男の子こそが、比企大学三郎能本(ひきだいがくさぶろうよしもと)。

 

「探訪比企一族」(まつやま書房)によると、

この能本は、房総の安房(和田義盛の領地)か四国の安房かで育ち、

一度は出家したものの、還俗して儒者となったということです。

しかし、29歳の時、竹御所が4代将軍頼経の妻になることになり、比企郡の郡司となります。

比企の家は郡司として復活するのです。

 

けれども、竹御所は婚姻してわずか4年で亡くなってしまいます。

「役人である限り、北条氏の下で働かざるを得ない」

「それを快く思わなかった比企能本は、比企の郡司をやめて鎌倉に戻り、元の儒者として生活していた」(「探訪比企一族」p157より)

とありますが、

北条からすれば、自ら滅ぼした比企氏の復活がうれしいはずがありません。

竹御所亡き後、圧迫もあったのでしょう。

 

そして、鎌倉に出た能本は、日蓮に出会うのです。