猛烈なカチューシャの不運。
それは生まれたときからなのですが。
けれども、召使いと養女の間のような存在としてお金持ちの貴族に育てられ、
そのままいけば、適当な相手と縁づけられ、
そこそこの幸福をつかんで幸せに暮らしたのかもしれなかったのです。
ある時、カチューシャとお金持ちの夫人の甥ネフリュードフは出会ってしまいました。
そして恋が訪れ、復活祭の明け方、ネフリュードフとカチューシャの愛は、
「頂点に達して、意識的、理性的なものも、官能的なものも、まったくなくなってしまう」
という一瞬が訪れたのです。
それは幸福なことだったのではないかな。
カチューシャの猛烈な不運な生涯の中で、たった一つ。
そのあと、恐ろしいことが起こってしまうのでしたが。
10年後、ネフリュードフは許しを請おうとして
カチューシャを追っていきます。
結婚しようと。
そして領地も手放してしまいます。
カチューシャの冤罪を認めさせようと東奔西走したり。
しかし、カチューシャはとうに許していたのです。
復活祭の明け方に
ネフリュードフがカチューシャにあると思った、二つの愛。
「ネフリュードフにたいする愛情」と
「すべての人間やすべてのものに、
この世にある限りのよいものだけでなく、
彼女がキスをしたあの乞食にまでもむけられる、
愛情のけがれのない純潔さ」
それはカチューシャの生命そのものに備わっていたのだから。
そして、キリストはペトロに言ったのだという。
「すべての人をゆるさなければならない、無限に何度もゆるさなければならない」と。
「なぜなら自分自身罪がなく、したがって罰したり、矯正したりできるような人間はいないのだから」と。
そして、
「社会や秩序が存在しているのは、」
「人々がお互いにあわれみ合い、愛し合っているおかげなのだと」
長かった…。
ラーメンを食べよう。朝だけど。