”太田資正は待っている。” 2年前こんなことを書いていた。 偉そうに。 またこの話とは違うのですが、 秀吉が資正を岩槻に戻さなかったのは、 資正をたまらなくうらやましかったからだと思うのです。 認められるために、 草履を温めたり。 資正にはそういう卑屈さがないので。 だけど知っていたか。 裏切りに気づくのは、 裏切られ続けたからだということに。 それでも資正は、生きた。 息子は、みな器量ある人物だった。 そんなところも秀吉は羨んだことだろう。