そうなのです。
すべてのマイナー武将が不運です。
だから教科書にも載らないし、その居城あとが県庁になったりはしないのです。
不運だからマイナーなのです。
権力を持てなかったから
交通が不便なところに城あとがあるのです。
そう、
「勝てば官軍」です。
勝利を目指して。
けれども貧乏性なせいか
彼らの声なき声を探そうとしてしまう私です。
鄙の乙女が
太田道灌に山吹の花を差し出したとき
その無力な乙女の教養は
関東の覇者太田道灌をはるかにしのいでいたのです。
それは伝説でしかないけれど。
山吹の里の乙女はなぜ、
そのような教養を持った姿で語られるのでしょう。
山吹の里の乙女は「敗れ去った者」の象徴。
そしてそれは、おごる権力に対して抵抗を続けていた姿なのでは。
難波田弾正が歌合戦で小田原北条に抵抗したように。
(↑この例は分かりづらいですね)
だからこの伝説は大きく広がったのだと思うのです。
人々の心をつかんだのだと思うのです。