源姓太田氏系図の謎 | ゆうゆうねこの感想ブログ

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あまりにも長いために、リブログではなくコピーして引用させていただきます。

 

「「義芳永賢」の実名を「資忠」としているのは、資忠が道灌の生前に臼井城攻めで討死していることが『太田道灌状』に見えるため、明らかな誤伝である。」

 

と「はみ唐」さんが書いてくださっています。

 

そうです。太田家記に載っているこの系図での「義方永賢」は、誰が読んでもそうとわかるくらいにおかしいのです。もともとは太田家記とは別な資料だとされていますが、譜代大名太田家の系図として採用された「源姓太田氏系図」です。なのに、「太田道灌状」さえも参照していないのはおかしいじゃないですか。どうしてなのでしょう。

 

「しかしこうした誤伝も、『太田資武状』が道灌の後継者を「道灌之実子無ニ付而、図書助ト申而甥ニ候ヲ取立、名字を被譲候」としている部分のみが伝わったと考えれば、説明がつく。資忠は、官途名「図書助」を名乗った人物であるためだ。あくまでも検証なき仮説ではあるが、『太田資武状』の影響が、非常に広範囲にわたっている可能性がうかがえる。

 

道灌の子孫を誇る太田家の家系図が、道灌状の内容は無視しているのに、資武状は参考にしているというのもおかしな話です。この段階でこの系図はある意図をもって制作されたものなのではないかと自分は考えてしまいます。

 

しかも、この系図ではその「資武」を「資勝」としているのです。本当に「資武状」を読んでいるのなら間違うはずがありません。もちろんこの系図は資料など無しで作られたいい加減なものなのかもしれません。けれど、大名家の系図です。それも太田家は幕府の要職を歴任する譜代大名です。太田家記編集者はなぜこの系図を採用したのでしょう。

 

かつて自分は「資家」「資康」を合わせると「家康」になると書きました。

太田家を「譜代大名」とした英勝院の祖先としてこれ以上ふさわしい人があるでしょうか、と。

 

そう「資勝」もです。「勝」とはこの英勝院のお名前ではありませんか。

もちろんそんなことは空想(妄想)にしかすぎません。

 

けれどもこの系図は、一見いい加減でありながら資忠(道灌の最も正しい跡継ぎ)→資頼→資正→資武と系譜が続いていることを記しているのです。最後には「資勝」と絶対にわかる間違いを残して。どうしてこんな系図が作成されたのでしょうか。そこにやはり「何か」があったと思います。