けれども、
「太田資武」の残した太田資武状には
太田義方永賢の実名も受領名も記されてはいません。
では資武は自分の曽祖父の実名も受領名も知らなかったのでしょうか。
そんなはずないでしょう。
戦国大名と国衆12「岩付太田氏」に収録されている
前島康彦氏の「太田安房守資武状について」には
実は現存する4通の資武状の他に
備中守資宗にあてて送った書状が
「このほかにも数通乃至それ以上もあった」
ということが指摘されています。
それは「太田家譜略説」の中に
現存する資武状にはない情報が
「太田安房守資頼状よりの条に」
「安房守之状に」
として残されているからであり
例えば
「御幣八文字は両管領之旌の紋、鏑矢は太田の紋、
上文字は上田の紋」
などで(長くて全部書けなくてすみません)
そんなことまで知っている資武が
自分の曽祖父の実名と受領名を知らないはずがありません。
資武は知っていたのです。
父太田資正も「これだけは」と繰り返し伝えたはずです。
(さらに続く)
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