岩付城と稲付城 | ゆうゆうねこの感想ブログ

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内容は、本などの感想です~~

(デザインを変えてみました)

 

 

↑(アフィリエイトを貼っておいてなんですけれども)桶川マインに入っている「丸善」の書棚に岩田書院の「岩付太田氏」が入っているのを見つけた私です!(4/4現在)

桶川マインの「丸善」は隣に桶川図書館が入っていてグッド。お近くの方は行ってみましょう。

 

図書館で本を読んでいて「これ欲しい」となったときにはすぐに「書店」に注文できる、ということを狙っているのでしょうか。

 

4320円、高いと思うかもしれませんけど、買っておいて損はしないですよ。だって600部しか印刷されていないのですから。今後需要が高まった場合、古本が高額になる可能性があると思うのです。(しかし、購入は自己責任でお願いします)

 

 

 

と「本レビュー」であるかのように始めて。(いや、「本レビュー」です!←言い切った)

 

 

 

太田道灌の孫、太田資高の居城とされるのが、北区赤羽岩淵にある「稲付城」(いなつけじょう)です。

 

岩淵にある「稲付城」…。非常にあのお城と間違いやすい名前です。

 

稲付城は、江戸城と岩付城の中継地点のようなものであると考えられてきました。

 

しかし、「北区史資料集」は「松陰私語」の、「河越者松山・□付方々」p83(□は草冠に稲です。IMEパットでは出ませんでした)を稲付城の史料上の唯一の所見」として、「稲付城が武蔵国比企郡松山城(埼玉県東松山市)と並んで扇谷上杉氏の重要な軍事拠点として機能していた」としています。

 
この□、本当に「草冠に稲」でしょうか。岩付の書き間違い、混同ということは絶対にないのでしょうか。
 
「成田氏築城説」をしつこく通説のように語る心理の出発は、この「□付(□は草冠に稲)」にあるような気がします。でも、これに関しては深掘りしません。20年くらいしたら解明されているはず。新史料が発見されるでしょう。
 
そうです。市区町村で地方史を担当している方々は「生涯学習課」。(そうでない例もあるのかもしれませんが)「社会教育」「生涯学習」の世界なのです。埼玉県は巨人東京、おしゃれ神奈川に比べて、この分野が非常におとなしすぎるのです。自分もなかなか愛好の方を見つけることに苦労しました。
 
しかし、20年後くらいには、活発な中で「学習」できるような環境になっているのではないでしょうか。
 
かつては埼玉も北区も同じ武蔵国でした。というか、江戸時代、北区は町奉行の管轄地としての「江戸」ではなかったはず。すみません。厳密に言えば、北区全部が「江戸」ではないけれど、「朱引き」ラインに区の一部がかかっているから「江戸」です。いいな、北区。
 
けれど。「朱引き」ラインの外の部分の地域は、「江戸」と思われているだけです。そう、王子、十条、赤羽岩淵は…。え? 江戸名所図会に載っているって?そういうの、軍記物みたいなもので「にわかに信用できない」っす。現に赤羽は、明治時代は「浦和県」に入っていたのです…。
 
岩槻のお寺を資高が開基したとされるなどの混同は、岩付と稲付に混同があったからなのではないでしょうか。