「そんな計算高い才能が本当の才能でしょうか」
と書きました。才能に本当もウソもなく、
自分が幸せであればそれでいいのですが…。
でも、よく考えてみれば、
画家でも作家でも、本当に才能がある人で幸せな人なんて、
ほとんどいないじゃないですか。
家を出て、駅で「発見」されたトルストイとか。
本当の「才能」とは、「やらずにいられない」という魔性なのではないでしょうか。
そしてそれは「業」のようなものではないでしょうか。
そこが人間の怖さであり、おもしろさです。
AIがどんなに発達しても、そこには「生命」はないのですから…。
※※※
話は変わって、
「出好き、ネコ好き、私好き」で一番考えさせられたのは、「週3回美容院に行くお母さん」の話です。
「母はね、父が生きている時、週に三回美容院に行っていたの。そういう生活をちゃんと続けさせてくれることが、私の条件よ」
財産家のご家庭で、お兄さんがお母さんを引き取ることになったとき、妹さんは財産を放棄したのです。
その時、妹さんはお兄さんにこう言いました。
このあとこのエッセイは、やはり林真理子氏がそのことに驚くような形で続いていきますが、
そのようにやはり、「きれい」ということは女性にとって大切なことなのでしょう。
いや「身なりをきちんとする」ということは、大切です。
でも「週3回」。
大変ですが、都会のいいとこのご夫人とはそういうものなのでしょう。
また、その後に林真理子氏がそうなさったと言うように、
そう決めてしまえば、そんなに大変でもないのでしょう。
この話を母の友人の美容師さんに話してみました。
そんなお客さんがもしかしたら身近にいるかもしれないと。
けれども、答えは
「ああ~、その人は水商売だね」と。
これが、私たち。
埼玉クオリティ。
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