野口多門はなぜ銅銭を持っていたのか (追記あり) | ゆうゆうねこの感想ブログ

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銅銭は14日~18日まで一般公開されています。

見に行かれるかもしれませんが、行かれないかもしれません…。

 

太田資正の家臣、野口多門は太田資正が岩付城を追放されると、「帰農」したのだといいます。

 

そんな彼、あるいは彼らはなぜ、こんなに大量の銭(日本最大級)を持っていたのでしょう。

 

一番古いものは鎌倉時代の銭で、一番多いものは室町時代の銭だといいます。(毎日新聞より)

一番新しいものは1408年のものなのだそうです。(埋蔵物センターの資料より)

 

金とか小判とかではないのです…。コツコツためたようなお金で、日本最大級(!)これは何を意味しているのでしょうか。

 

おそらくこれは「何かあったときのため」と野口多門が貯めたもの。

 

あるいは、主人太田資正が貯めていて茨城に持っていけない等の理由があり、自分に忠実な多門に与えたものなのではないでしょうか。

 

そして、多門はおそらくそれをびた一文使っていないのでは…?なぜでしょう。忘れていたのでしょうか。でも、忘れるでしょうか!?

 

それでも、もしかすると、野口多門は主人資正が岩付城に帰ってくるのを待っていたのではないでしょうか。やはり、これは有事に備えての貯金だったようです。