また、変なことを書いてしまいますが、今年はじいさん馬を見に行った時、調子に乗って飛行機に乗ってしまったため、(飛行機に乗らなければ行かれませんけれども)予算を使い果たしてしまっていて、本当はもう本とかを買うお金はありません。
それでも、「でれすけ」は購入しました。
そして、この本は、買うべき価値があると思います。おそらく映像化もされると思いますが、どうでしょうか。映像化されるには、地味でしょうか。
北与野の「書泉」に行ったら、書棚に「でれすけ」は2冊も並んでいました。売れているようです。
そうです。お金を出してまで「読みたい」と思えるものを書けるというのがプロの仕事です。
ただし、今回も無責任な感想を言わなければいけないと思うのです。なぜなら、ここはネットなのですから。
そうです、照日のことです。
友達とトイレに行ったり、一人でレストランとかに行けないように、女は関係性の中で生きていて、かならず「がんばれ」って励ましてくれる女がいるのです。お財布をくださったり、話を聞いてくれたりする女がいるのです。失敗しても、何があっても、その体温の温かさで生きていけるのです。
それは夫とか彼氏とかでは埋めることのできない、女だけの世界があるのです。それがないと不幸です。病んでしまいます。それは馬を輸送するとき、二頭で行くのと同じです。たぶん。
その役目をこの小説では、お義父さんがしようとしていますが、これは本当はお義母さんとか乳母さんがするべきなのです。
限られた物語の中でそんなに人物を出せないのは、仕方がないことなのかもしれません。だったら潔く女ゼロでもいいと思うのです。どうして照日のような人物が必要なのでしょう。そして、そこが完成されすぎているのではないかと思ってしまうところです。素人が偉そうにすみません。
「最低の軍師」に出てくる巫女さんもそうなのですが、職場の花(古くさい表現ですみません)的な女が一人だけ出てくるのです。そして、「風の谷のナ〇シカ」みたいにきれいで賢く優しいのです。そして不幸です。でも、そんな人は、アニメの中にしかいません。現実の魅力ある女とは、4人の子持ちなのに「私、体が弱い」と主張して、重い荷物は男に持ってもらうEちゃんみたいな人です。
まだ2冊しか読んでないのにすみません。
また、いつも思うことですが匿名で批判がましいことを書いてしまってすみません。
しかし、どうでもいい本なら、お金ももらわないのに、時間を使ってこんなことを書いたりはしないのです。そこは分かってください。
きっと箕輪諒氏なら、本当の魅力ある女性を描ききることができるでしょう。
その日を楽しみにしています。