だけど大事なことだから、もう一回書いておきますね。
岩付(=岩槻、いわつき)太田家は
太田道灌の養子で後継者の
道永永賢資家(どうえいえいけんすけいえ)、
道可知楽資頼(どうかちらくすけより)、
道義全鑑資時(どうぎぜんかんすけとき)あるいは資顕(すけあき)、
道誉三楽資正(どうよさんらくすけまさ)、
道也資房(どうやすけふさ)あるいは氏資(うじすけ)、
そして越前に移って
道鷲資武(どうしゅうすけたけ)と続いたのです。
(ここで私はあることに気づいていますが、まだ確証がないので書きません。気づきませんか?)
そして新井白石は、「太田美濃守資政入道三楽は道灌の四代の嫡流」と、越前太田を道灌の「嫡流」とはっきり書いているのです。
新井白石は「暫くここに記して一説に備ふるのみ」と。未来に託していたのです。
未来、この確信に応える人は現れるのでしょうか。
○○○○○○○○○○○○○○○○
1年と少し前、「ずっとやっていく」と思っていた仕事をやめることになり、なぜか安土・彦根に行ったのです。
そこで「道灌」名のお酒を発見してから、長い旅でした。
○○○○○○○○○○○○○○○○
そしてそして、ハッシュタグ初めて付けてみました。
(ほとんどが関係ない記事ですみません)
11月2日楽しみにしています。