この本では、(北条が勝頼を受け入れなかった)として、信茂は笹子峠を封鎖します。これは(上杉に逃げて)ということではなかったでしょうか。(ここで岩殿城に入っても、もう逃げられなくなるから)ということではなかったでしょうか。
そう、考えようによってはそれも一つの「忠義」だったのかもしれません。
しかし、冷たい風に吹かれ、勝頼一行は悲劇としか言いようのない最期を迎えます。
この本では、岩殿に向かう決断をする前、勝頼の息子信勝が「新府城にとどまり、最後の戦いをしよう」と提案しています。それが一番正しい道だったのだと思いますが、どうでしょうか。
たとえ、どこに逃げたとしてももう「天下」を掌握している信長は、勝頼のことを絶対に許さなかったでしょう。
しかし、それよりも、勝頼は信勝とともに「信長に降伏し、身柄を預ける」という方法ができたらもっとよかったはずです。「甲斐も自分たちも信長にお渡しします」的な。「その代わりみんなを助けてください」的な。
考えてみれば、どんな小さな城主でも、落城の際は敵とそういう取引をして城の人々の命を救おうとしませんか?そんなことは考えもせず、自分だけ城から逃げようとしたら、非難されると思うのです。
勝頼が部下や領民を犠牲に自分たちだけ助かろうとしていたとしたら、彼はやはりダメリーダーだったのだと思います。
「それにしても、不忠者とは、いったい誰に対する何の不忠でありましょうか」と信茂は織田の家臣に言います。
比企下総さんのコメントでの指摘もありましたが、小山田信茂(と家族)は、汚名を着た上死んでしまいますが、そのおかげで郡内の人々は余計な戦闘から生命と財産は守られたといえるのではないでしょうか。「禄壽應穏」なのではないでしょうか。