「水が出た」と近所の方が話していました。近くを流れる川が氾濫し、住宅街までやってきたのです。九州に比べれば大したことはありませんけれども、でも。
あれくらいの雨で。
そうなのです。
かつて、海だったこの地域。やはり一番恐れなければならないのは水害だと思うのです。
鷲宮神社の側の久喜資料館に立ち寄ると、神楽の資料が勿論たくさんあるのですが、「カスリーン台風」の被害について掲示がありました。そして、獅子舞や神楽は水害を防ぐための神事と関係があるようです。(まだはっきり分かりません)
戦国時代、荒川と利根川が流れていたこの地域、やはり一番恐れていたのは水害であったのだろうと思いました。
よくお城の復元図を拝見しますが、川越城を始めどのお城も水の手で守られています。それは、「お堀」といったようなものではなく、湖沼を利用した守りのように思うのですが、どうでしょうか。
よく「関東のお城は石垣がなく」と、関東の土木技術が未熟だったように言われていると思いますが、実は作る必要がなかったのだと思いました。(地盤が悪くて作れなかったのかもしれませんが)
「浮き城」と言われている忍城ですが、根性で浮いていたわけではなくもともと水害に備えての設計がなされていたに違いないのです。(行田市史にはそんなようなことが書いてあった気もします)
今さらながらに気づきました。
しかし、現代の不動産関係などの利害を考えると、それを大声で言うこともはばかられるのかもしれません。