小田原合戦の時、忍城で指揮を執っていたのは成田氏長夫人とされていて、昔の資料にはその人のことはそっけなく「三楽女」と書かれていました。三楽さまの娘です。名前は分からないのです。
「三楽って誰?」と。それが、三楽さまとの出会いでした。高校3年生の時でした。
そのころ「太田資正」について、ネットで検索などしても何も出てこなかったのです。
ところが今はどうでしょう。
本当に感謝しております。
そして、こうして戦国武将ブーム(賛否あるでしょうけれども)が訪れたのも「信長の野望」が始まりだったのではないでしょうか。
寝ないでプレーしましたよね。
「太田資正」を天下人にした時、自分は天才なんじゃないか、と思いました。(太田資正さまを戦国大名に設定してくれたシブサワさまにもやはり深く感謝しております)
今がチャンスだ。
さいたま市は確かにもう少し頑張ってもいいと思います。(県もね)