「女が男の風をするなどということは、そのときもう女でなくなったと他人さまの前に宣言したようなものです」
これは新田次郎の小説「芙蓉の人」で 主人公千代子が夫の気象観測を手助けするため 登山服などない明治時代に 「男性の服装で富士登山する」といったときの母親の厳しい言葉です
「女が男の洋服を着るなんて想像しただけで身の毛がよだつ思いがします。誰がなんと云っても、この母がそんなことは許しません」
千代子は 仕方なく 男装の代わりに「もんぺを穿いて登ります」と言います
すると母は「もんぺですって、もんぺなどというものは、草深いところの女が身につけるものであって、れっきとした士族の娘がつけるものではありません」
と言い出すのです
「外国はどうあろうと、日本では形が大切です。ちゃんとした形が整うていなかったら、なにをやったところで意味がないことです」と
そんなんじゃ いつまでたっても 女は日本一の富士山頂に登ることはできないのです
それは正しいことなのでしょうか
それでも いまでも こうした「昔かたぎ」は形を変えて残っているのです