ヤマトタケル 3 | ゆうゆうねこの感想ブログ

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内容は、本などの感想です~~




そして 関東妻 弟橘姫がヤマトタケルを助けるために入水してしまいます この「走水」の神話は 本当に美しいと思います











この神話から 「木更津」「袖ヶ浦」といった地名が生まれたとされています














そして 二人の間には「若建」(←「ワカタケル」と読めるではないですか)という王子が生まれています














関東地方には 数多くのヤマトタケル伝説が残されています





 








出雲族の末裔と言われている大宮氷川神社にもヤマトタケルは来ています 秩父の宝登山神社にも来ています














ちょっと ありすぎなんじゃないでしょうか ほとんどが「騙り」なのでしょうか














そして 群馬県境 碓氷峠で ヤマトタケルは「吾妻はや」と 関東妻 弟橘姫を思いおこして嘆くのでした














でもそれは 神奈川と静岡の境 足柄峠だったかもしれないのです











そして 甲府で老人を東の国造に任命していますが 景行天皇にここまで嫌われているタケルに そんな権力があるのでしょうか











そして やっと「科野(シナノ)の坂の神を言向けて」中央道を通ることができ尾張の国に帰って行ったのです











その後 タケルはミヤズヒメと結婚 なぜか 「天叢雲剣」をミヤズヒメのもとに置いたまま 山の神と戦って 結果として死んでしまうのです











「天叢雲剣」はヤマタノオロチの尾にあったとされる剣で 本当であれば おろちを退治したスサノオの子孫 大国主を祀る 出雲にあるべきだと思うのですが 











本当はイズモタケルから奪ったのではないでしょうか











「因果応報」という概念が 古事記にあるとは思えませんが 「つるきの太刀 その太刀はや」と言って亡くなる このヤマトタケルの最後から そんな言葉が浮かびます











もしかすると イズモタケルがそう言いながら死んでいったのかもしれません











古代 見沼の水神(竜)を祀っていたという 大宮氷川神社の神紋は 当然ながら 「八雲」です タケルが来て そこにスサノオや大国主を勧請していったのだそうです











「天叢雲剣」を持ち 弟橘姫と結婚した ヤマトタケルは関東で権力を持っていたのです











しかし ミヤズヒメと結婚し 剣を手放したヤマトタケルは 何に敗れたのでしょう なぜ 力を失ったのでしょう











若建王はその後「マグロ姫」と結婚 スメイロオオナカツヒコからの系譜は 怪しいけれど古事記にも載っています











この系譜に載っている方々は 関東の大王なのではないかと思います