ヤマト政権が なかなか日本アルプスを越えられなかったとしても らくらく越えたとしても そこにはヤマトではない別な「王権」が存在していたことが予想されます
そうでなければ オオヒコ命を「平定せよ」と派遣するはずがありません
そこにあったのが「毛人の国」です
しかしながら 「記紀」は絶対にヤマトではない「日本」を認めることはないのです
ただし 崇神天皇の皇子とされる 「トヨキイリヒコ」が「上毛野 下毛野君の祖」として登場しています
トヨキイリヒコ命もまた 「東征」を命じられたといわれていますが(←日本書紀のみ)
この オオヒコ そして 豊城入彦 あるいは 豊城入日子 こそが 「毛の国」の王そのものなのではないでしょうか