「呼吸で動くヨガ」Zenkou

「呼吸で動くヨガ」Zenkou

呼吸をベースに気合と根性を使わないで動くヨガを実践中。動きからの経験を実生活で活かすことを日々精進中。

Yoga Artist / Innerlimbs Instructor / オンラインサロン「ZENKOU YOGA CREATIVE ROOM」主催 / zenplace / IYC / 目黒区教育委員会主催社会教育講座、東京自由大学、東京茶寮、GINZA SIX、acuplace自由が丘などでイベントや講義を開催

「正しいポーズができているか」
「もっと柔軟性があれば」

せっかくの時間を、完成された理想像という「枠」に自分を押し込めることで消費してしまっていないか。そうやって自分の身体に耳を傾けるはずの時間が、また新たなプレッシャーを生む場になってしまうのだとしたら。

ヨガマットという限られた空間を、もっと別の視点で捉え直すことができないか。例えば、茶室のように。

都市生活から身を引く「退避空間(山居)」の創設

千利休らによって大成された「草庵茶室」は、京都という都市の中にありながら、「市中の山居(さんきょ)」という概念を体現していた。深い山奥に身を隠すのではなく、都会の真ん中にいながらにして、まるで山の中にいるような静謐な空間を作り出す。

茶室における「囲い」は、決して物理的に完全に遮断された壁を意味するものではない。屏風や建具によって空間の一部を区切ることで、そこに座る人の注意の向きを変える、控えめな「枠組み」なのだ。

ヨガマットもまた、これと同じ「囲い」としての機能を持つべきだろう。

石の形に木を沿わせる——「ひかりつけ」に見るアパリグラハの実践

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マットという限られた空間は、単なる「運動するためのシート」ではない。社会生活という名のシステムから一時的に身を引くための、いわば「退避空間」である。社会との関わりを断ち切るのではなく、社会生活の中で失われがちな身体感覚を取り戻すための、安全な「器」なのだ。

マットの縁は、茶室における「囲い」と同じく、日常と非日常をゆるやかに分ける結界として機能する。その限られた枠組みがあるからこそ、私たちは外に向き続けていた意識を、安全に自分の内側へと向けることができる。

茶室の建築には、「ひかりつけ」という技法がある。自然の石を土台として柱を立てる際、石の表面を平らに削るのではなく、石の凹凸に合わせて木の柱の底面を精緻に削り、隙間なく密着させる。そこには、コントロールできない自然への敬意と、「相手を自分の都合に合わせてねじ伏せない」という倫理がある。

「囲い」の中の静寂——マインドフルネスの気づきと空間認知の作用


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冬の重力を脱ぐための節度

私たちが「ひな祭り」として親しんでいる上巳の節句は、本来、春の入口で水辺に立ち、身を清めて季節の流れに乗り直すための行事だった。現代では菱餅や桃の花の華やかさが前面に出ているが、その芯にあるのは、もっと静かで切実な「再調律」の知恵である。

季節が切り替わるとき、人は知らず知らずのうちに古いエネルギーを溜め込み、滞り、余計なものを背負い込む。その“余計なもの”をいったんほどき、次の季節へと渡っていく。この「渡る」という感覚は、私たちが日々マットの上で繰り返しているヨガのプロセスと、驚くほど深く共鳴している。

「祓い」という言葉を聞くと、何か悪いものを外へ追い払うスピリチュアルな儀式を想像するかもしれないが、現代の都市生活に置き換えるなら、それはノイズだらけになったラジオの周波数を、本来の真ん中へと合わせ直すようなチューニング作業に近い。

ヨガの八支則における「シャウチャ(清浄)」も同じだ。それは自分自身を無菌状態の完璧な存在にすることではなく、曇った窓ガラスを拭い、いま散漫になっている注意や、浅くなっている呼吸に「気づける状態」へと戻るためのインナーリムズである。

分断され、効率ばかりが求められる日常の中で、私たちは自分の感覚すらも外部の正解に委ねてしまいがちだ。だからこそ、上巳の日のような「いったん基準値に戻るための時間」が、身体の余白として必要になる。

形代に息を乗せ、手放すこと

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上巳の古い形として、自らの穢れを人形(形代)に移して川に流す「流し雛」がある。自分の中に渦巻いている得体の知れない重さを、いったん外化して扱える形にする。これは単なる迷信ではなく、対象との間に距離を作るための極めて合理的な技術と言える。

ヨガの練習において、この「流し雛」の役割を果たすのが、長く深い「呼気(吐く息)」だ。春先は、アーユルヴェーダにおいて冬の間に蓄積したカパ(水と土のエネルギー)が溶け出し、心身が重く停滞しやすい季節である。

ここで無理に強いポーズをとって気合いを入れると、かえって神経が詰まってしまう。まずは長く吐く息に、冬の焦燥や身体の冷えを乗せて、外へ流し出す。手放すこと、すなわち「アパリグラハ(不貪)」は、精神論ではなく、吐く息という具体的な身体操作によって立ち上がる。

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深夜まで明かりが消えないオフィスビル、絶え間なく鳴り響く通知音、そして無意識に力が入る奥歯。私たちは日々、効率と正解が求められる「枠」の中に身を置いている。

そんな日常の合間、ふと手に取るスマホ。SNSのタイムラインには、重力を感じさせないような、どこか浮世離れしたポーズが流れている。

遊びではなく、妙に真面目に流れてくるそんなポーズ達を見たとき、多くの人の内側に微かな、しかし粘り気のある焦りが生まれることはないだろうか。

「もっと柔軟にならなければ」「あのポーズができるようになれば、この閉塞感から抜け出せるのではないか」など。

そうして、ヨガの「正解」を探し始める。だが、ここで深い息とともに立ち止まってみたい。ヨガマットの上で居住まいを正すとき、本当に求めているのは、外側の形をカタログ通りに整えることなのだろうか。

ヨガの本質は、ポーズの完成度という可視化された成果、あるいは「商品」としての美しさにはない。それは、その形を作る過程で内側に生じる「インナーリムズ」にこそ宿る。

アシュタンガヨガを例にとるなら、決められた動きという強固な外側の形を借りて、自分の意識を外側の喧騒から内側へと、静かに、そして確実に移行させていく構造そのものだ。

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