あー、時間に余裕あるお方は読んでみてください。
自分の暇つぶしみたいな記事ですので。
本日のお題「表日本と裏日本」
自分の記憶では昭和40年代、ひいき目にみても昭和50年代前半まではこの表現が使われていたと思う。
表日本は太平洋沿岸及び瀬戸内、裏日本は日本海沿岸。
一時、世界を席巻した日本の製造業をけん引していた地域がその名の通り太平洋ベルト地帯。
それに比べて日本海沿岸には昔ながらの農林水産業を主とした県が並ぶ。
真冬のこの時期は特に肌身で感じる寒くて天気悪くて日照時間少なく雪に閉ざされる当地を含む裏日本。
かたや快晴の日が多い太平洋側、表日本。
この「差」
ネガティヴとポジティヴ
これは裏日本と呼ばれても仕方ない、妥当なことと思っていたのだが知らず知らずのうち死語になった。マスコミの忖度がはたらいたのだろうか。
そこにこんな地図をネット上で拾った。
「環日本海・東アジア諸国図」
ちょうど裏からみた日本地図。
大陸から見たと言ってもいい。
出所を調べてみると日本海学推進機構がHITするのだが結果は404notfound。
しかしじっと見ていると改めて日本は島国なんだと気づかされる。
サハリン@樺太から、あるいは千島から沖縄台湾まで列島なんだ。
地図の中央にロケット好きの総書記がいる国が座しているのでコレ作ったのはもしかして!?
とも思うが定かではない。
とはいえなんか日本海が丁度良い射爆場のような感じがしなくもない。
ロシアと中国が隣接し考えようによっては危ない立地のこの日本。
プーチンプリン不凍港が欲しいだろうなー、臭菌屁台湾尖閣欲しいだろうなー
たまに「裏」からみて考えてみるのもいい。
見えないものが見えてくる。
そしてその昔、約40年間一時日本の領土であったサハリン@樺太。
北緯50度線が国境でした。
実際にはその一部地域で江戸時代から松前藩はじめ幕府の命を受けた秋田藩や会津藩仙台藩庄内藩他の者たちが警固に当たりロシアと実効支配の歴史を繰り返していたようです。
日本中を探してもどうしても見つからなかった旧日本海軍重巡洋艦最上型3番艦「鈴谷」の艦名由来の鈴谷川はここにあった。
樺太イチの都市、豊原市の脇あたりに。
今は亡き知らない日本地図。
鉄道網が発達して知らない駅名地名が続く。
歴史に翻弄された人々の暮らしがそこにあっただろう、それこそ無数に。
調べてみると当時樺太には約40万人の日本人が住んでおり知っている樺太出身者に大相撲の大横綱・大鵬、シャンソン歌手の高英男さん、ナハナハのせんだみつおさんらがおりました。
そしてさらに知らない和名が続く千島列島。
こちらは約70年~90年間日本の領土だったところ。
90年間領土だった北方四島(歯舞・色丹・国後・択捉)が北方領土返還運動の島々。
昨年途中棄権した北海道ツーリング。
行動予定では3日目に野付半島に行くハズでした。
野付半島から国後島を見てみたかったなあ。
現在、気象庁の雨雲レーダーが利用している地図は国土地理院の地理院タイルを利用しておりこの北方四島を拡大表示すると昔ながらの地名や山の名、岬の名、街の名が分かって面白いです。
この時期バイクではほとんど走れず今シーズンの遠出も嫁さんの回復に合わせてのことになり近場しか活動できないと思われます。
なので具体的目標は打ち出せず、暇つぶしがてら今は絶対に行くことのできない辺境の地をネタにして裏日本からお届け致しました。
おわり