消えたサブマリン投手 | 善光寺マニアのブログ~俺たちの旅

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キャンプインしているもののまだ開幕にはほど遠い日本プロ野球の2019シーズン。
何気に気にも留めていなかったがここ最近アンダースローもしくはサイドスローのいわゆるサブマリンと呼ばれる投手がいなくなった。
現在プロで活躍出来ているのは西武の牧田和久投手が大リーグにいったためソフトバンクの若手高橋礼投手くらい。
 
思い起こせば甲子園を沸かせた箕島の石井投手や広陵の二段モーション渡辺投手が活躍した時代(昭和50年代)にはアンダースローの投手が高校野球にウヨウヨいた。
しかし今はほとんどいない。
少年野球で今は変化球禁止されているのを聞いているが、発育途中で体に負荷がかかるアンダースローは指導する側も薦めていないのだろう。
もうしばらく見ていない変則投法。
プロ野球でもごく一部の投手を除いて短命な投手が多いのも薦めないひとつの理由かもしれない。
 
しかし球史を飾る華々しい活躍をした投手は多い。
おそらく今後は出てこないアンダースローの大投手をかいつまんでUPしたいと思います。
まずは通算最多の284勝を挙げた阪急ブレーブス山田久志投手。
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秋田県能代市出身。後年はシンカーを交える技巧派投手になったが最初はアンダースローの快速球投手だった。最良のシーズンは昭和51年で26勝7敗5セーブ。
 
 
南海ホークス皆川睦雄投手
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山形県米沢市出身。サブマリン投手第2位の通算221勝。パリーグ南海黄金時代を長く支えた。スライダーを会得した昭和43年シーズン31勝10敗を記録し最後の30勝投手と呼ばれる。
 
 
 
 
広島カープ初代エース長谷川良平投手
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身長167cmのサイドスローで小さな大投手と呼ばれた。通算勝利は197勝208敗。
まだ弱小球団だった広島を長く支えた。昭和30年シーズンがピークでその年30勝17敗。広島のエースはなぜか名字漢字三文字の投手が多い。長谷川、外木場、安仁屋、北別府・・なので大瀬良投手はこれから長く広島を支える投手になるかも。
 
 
 
大洋ホエールズの初代エース秋山登投手
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明治大学から本人が熱望する巨人入団のハズだったが不当に低い契約金を提示され泣く泣く弱小大洋入り。通算193勝、巨人戦では並々ならぬ闘志を燃やした。
アンダースローの快速球投手で入団一年目からエースとして25勝25敗、ストレートと切れ味鋭いシュートを得意とした。昭和35年大洋日本一に大きく貢献しMVPを獲得。
 
 
南海ホークスの大エース杉浦忠投手
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昭和33年同期の長嶋茂雄選手とともに立教大学からプロ入り。27勝12敗で新人王。翌昭和34年はシーズン38勝4敗、日本シリーズ巨人相手に4連投4連勝し南海悲願の日本一に。手首を立てた下手投げで地を這う快速球と右バッターの背中から曲がってストライクになる大きなカーブ、鋭いシュートなど球の伸びと切れで史上最強のサブマリン投手と言われた。史上最速3年1か月で通算100勝を達成するが酷使のため血行障害(右腕動脈閉塞)となり血管の移植手術を受けた。
しかしその手術後、以前の快速球は戻らず投球数も限られるようになり思うような活躍が出来ず通算187勝で引退。
参考までにこの杉浦投手はプロ野球歴代投手の中で自分が一番好きな投手です。
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       南海皆川投手・杉浦投手とノムさん@野村克也捕手
 
 
阪急を地味に支えた老練の投球足立光宏投手
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山田投手と共に長年阪急を支えた。ピークは昭和42年の20勝10敗だが昭和50年前半まで現役を続けシンカーを武器に老練なピッチングを展開。
晩年、特に日本シリーズで突如先発して完投勝利するなど投球術のお手本となる投手だった。
 
 
巨人・阪神でエースとして活躍した小林繁投手
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巨人江川事件空白の一日・最大の被害者。
エースの座から突如トレード通告。翌、昭和54年は阪神移籍1年目で22勝9敗1セーブ。復讐心に燃えた巨人戦では無傷の8連勝。この年の投球フォームは以前よりぐっと沈み込んでいて投球に溜めが出来、速球も変化球も切れ味抜群でした。
しかし右腕の血行障害に悩まされ昭和58年シーズン13勝を挙げながらも通算139勝で引退。
 
 
 
 
広島南海で活躍した金城基泰投手
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広島時代昭和49年に20勝15敗、南海移籍後はリリーフエースとして活躍。
通算68勝71敗92セーブ。
 
 
巨人斎藤雅樹投手
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ミスター完投と呼ばれた11試合連続完投勝利の日本プロ野球記録保持者。
昭和59年・60年と2年連続20勝を挙げる。
サイドスローからの快速球とシュート、シンカーなどを武器に通算勝利180勝。
 
 
 
 
巨人大友工投手
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昭和30年前後に巨人のエースとして活躍したアンダースロー。
アンダースローの速球派はこの投手が初めてとされる。
昭和30年がピークで30勝6敗。通算130勝57敗。昭和31年、バント時に右手親指に死球を受け投手生命を絶たれた。
 
 
巨人王監督時代を支えたストッパー鹿取義隆投手
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140km/h台の速球と多彩な変化球で長くストッパーとして活躍。
巨人・西武に在籍し通算91勝46敗131セーブ。
特に巨人の王監督時代は抜群の安定感で酷使され、長嶋茂雄の名言「巨人軍は永久に不滅です」に対して王貞治の名言「ピッチャー、鹿取!」と揶揄されていた。
 
他にも日ハム・ナオさん@高橋直樹投手、工藤幹夫投手、坂井勝二投手、大洋・佐々木宏一郎投手、山下律夫投手、ロッテ・仁科時成投手、渡辺秀武投手、渡辺俊介投手、中日・三沢淳投手、小川健太郎投手、西武・潮崎哲也投手、兄やん@松沼博久投手、阪神・上田二朗投手、深沢恵雄投手、左腕のヤクルト梶間健一投手、同じく左腕の西武永射保投手、近鉄・柳田豊投手、沢藤光郎投手、武智文雄投手、南海大神武俊投手、西鉄島原幸雄投手など球史を彩る名投手がおりました。
長くなってきたのでそろそろまとめに入りますが、アンダースロー投手の開祖として2人の投手を挙げておきます。
日本プロ野球アンダースロー投手第1号、戦前の阪急軍・重松通雄投手。
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戦後プロ野球復興期にエースとして活躍した武末悉昌(たけすえ・しっしょう)投手
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劇画では「巨人の星」大リーグボール3号、バットをよけて通る魔球でアンダースローの星飛雄馬の悲劇的な最期。
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かたや「野球狂の詩」では水原勇気のドリームボール
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アンダースロー投手は選手生命が短命だがら活躍している時の印象が華々しい。
何かしらドラマチックなモノを感じる。
例えばもう少しで日本プロ野球界入り出来たかもしれなかったナックル姫@吉田えり投手。
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リアル水原勇気。東京六大学初の女性選手・東京大学竹本恵投手
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もうずいぶん前のことになりますが、劇画同様夢があってなんかワクワクしました。
 
 
脱線しますが明石家さんまさんが人気芸人となるキッカケとなった小林繁投手の形態模写「Mr.アンダースロー」w
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今まで上げてきた歴代アンダースローの投手たちだが今後もう目にすることはほとんどなくなると思う。
貴重な野球遺産となってしまうのかな・・
 
 
おわり