懐かしのユニフォーム | 善光寺マニアのブログ~俺たちの旅

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今夜のプロ野球、日本ハムvs楽天戦でホームの日本ハムは球団の前身である「東映フライヤーズ」のユニフォームで試合を行なってました。
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東映フライヤーズの名前で活動していたのは昭和29年から昭和47年まで。
この東映のユニフォームは昭和37年に初の日本一になった時のデザインとのこと。

東映フライヤーズと言えば、バッターでは張本勲選手や大杉勝男選手が思い浮かぶが、投手では稀代の快速球投手3名がすぐに思い浮かぶ。
残念ながらもうすでに3名共故人となってしまっているが、土橋正幸投手、尾崎行雄投手、森安敏明投手。
特に尾崎投手と森安投手は過去において史上最速の速球王として名が知られる。
高校(浪商)中退して17歳でプロ入りし直球一本で通した尾崎投手。
シーズン20勝以上を5シーズン記録。太く短い野球人生。
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荒れ球投手だった森安投手。シーズン最多与死球(22個)の日本プロ野球記録保持者。
昭和41年デビュー以来4年連続二けた勝利していたが、昭和45年黒い霧事件で選手生命を絶たれた。
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最後は東映のエース、土橋正幸投手。
球も速いが投球間隔も早く、キャッチャーからボールを受け取ってから次の投球モーションに入るまでがメチャクチャ早い。ちぎっては投げちぎっては投げの投球と無類のコントロールでフォアボールも少なく、土橋投手が投げる試合は試合時間が極端に短くなったと言われる。
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シーズン20勝以上5度、昭和36年には30勝16敗。
この投手もどちらかと言うと太く短い野球人生。
土橋投手を最も苦手としていたのは、南海の強打者ノムさん@野村克也選手。
配球を読んで打つタイプの野村選手は、考える前にもう次の球が来る土橋投手には相性悪いのも十分理解できるところだ。



この3人はリアルタイムで投球が見てみたかった。
昭和30年代40年代のパリーグは未知の領域だから。
この時代の選手で見てみたかった選手がまだ数名いるから、機会があったらまたUPしたいな。


おわり