長寿選手の伝統をつなぐ肥後猛婦たち

 

 古墳時代の豪族火の君に由来するとも言われる「火の国」熊本。すっかり県のシンボルとなったくまもんが、西日本新幹線の改札の前で迎えてくれた。

 

 

駅から東へ、阿蘇山の方角に向けて広がるのが、熊本市の文字通り中心に位置する中央区。その東部の住宅地にある帯山小、中学校に拠点を置く「帯山」は、市内でも長い伝統を持つママさんバレーボールチームの一つだ。

 

 

午後7時過ぎから三々五々、選手たちが集まる帯山小体育館の周囲には、新しい家が多い。前震と本震で震度7を記録した2016年4月の熊本地震では中央区も前震で震度6強と大きく揺れた。避難所になった体育館で、監督の竹崎キミコさんが言う。

「1回目の揺れは9時過ぎの練習の最後、『ラストー!』と私が声をかけた直後でした。翌朝未明の本震にも遭って、このあたりも半壊する家がほとんど。1か月以上水道が使えず、バレーができるようになったのは、小学校の避難所が解けた秋でしたね」

72歳の竹崎さんは学生時代、バスケットボール部だったが、20代後半で長身を買われてママさんバレーに加入した。全国ママさんバレーボール大会に1回、50歳以上のいそじ大会に2回、60歳以上のことぶき大会には3回と全クラスの全国大会に出場。監督として12年目を迎える現在は70歳以上のおふく大会出場をめざす。

チームではその竹崎さんが「先輩」と呼ぶ80代選手が元気にプレーしている。彼女たちは8年前に奈良県であった第1回おふく大会に出場しているが、30年ほど前から生涯スポーツの実現を掲げるクラブにはもともと長寿選手の伝統がある。

1985年(昭和60年)の第16回全国ママさんバレーボール大会に「帯山クラブ」として出場し、ブロック優勝。総理大臣杯準決勝では大阪代表に敗れたが、全国4位になった。この大会に参加した全選手の平均年齢は36歳だったのに対し、帯山の山田久子選手は70歳。参加選手を代表して選手宣誓も務めた。この年齢は最年長者を表彰していた第41回までの最高齢記録として残る。この大会でエースだったのが、現在の県連盟の北村智子理事長だ。

同大会に33歳で出場した竹崎監督の悩みは、メンバー15人の練習場所と時間のやりくりだ。都市部のチームには今や共通の課題だが、専業主婦に代わってフルタイムで働く選手が多くなり、7時半の練習開始に全員が揃わない日も多い。

火曜は小学校、木曜は中学校を借りているが、午後9時半にはネットを外してモップをかけて退出しなければならないため、メンバーが揃っての練習は1時間と少しという場合もある。選手たちの間からも「仕事との両立が大変なので今年で辞めようと毎年思いながら続けている」(45歳)、「悩みは仕事とのやりくり」(55歳)という声もあがる。

取材の日、車で15分ほどにある市内の病院で働く薬剤師の松本美穂さん(58)が合流したのは、8時前だ。大分県出身。市内に移ってきた40歳前後でチームに加入。

 

 

50代前半でいそじ全国大会に出場したが、「勤務は18時半までなのですが、先生が薬を出すタイミングがあるので、なかなか時間通りにはいきません」。時間をやりくりしながら、55歳以上に制度が変わったいそじ大会を再びめざす。

フルタイムで働く選手は松本さんをふくめ、チームの半数近くの8人。残りはパートなどだが、人員が揃わないときに工夫しているのが、合同練習。この日合流していたのが、市内北区のチーム「武蔵」。帯山とほぼ同じ15人ほどの陣容で、チームの代表である県連盟の古閑葉子会長(74)と竹崎さんが懇意であることから、協力関係にある。

この日武蔵から加わっていた佐藤竜子さん(60)は市内の女子バレーの名門・信愛女学院のOG。

 

(左:竹崎キミコさん 右:佐藤竜子さん)

 

中学からバレーを始めてずっとボールを追いかけてきたが、5年前から審判講習も受講している。「ずっとバレーをやってきて、審判がいるのは当たり前に思ってきましたが、いまはみんなが審判もやらなければならない時代。60歳でも勉強です」と歯切れよく話す。

古閑会長によれば、熊本県内の一般の登録チームはコロナ前の130から半減。年齢別にみるといそじ(本年度から全国大会は55歳以上)とことぶき(同65歳以上)が10、おふく(70歳以上)年代は4チームだ。かつて全国大会でも上位に名を連ねた玉名や八代など県内にはバレーどころも多いが、水俣や人吉などで活動実態がなくなり、市内リーグ戦や金融機関やスーパーがスポンサーの大会がある熊本市に、県のママさんバレーの消長がかかる。

市内のチームのスケジュールは1年中、大会とリーグ戦で埋まる。35チームがAからEのクラスに分かれて前期(6月~7月)、後期(10月~11月)で争うリーグ戦で、帯山と武蔵はともにAクラスへの勝ち上がりを狙う。その上で若い力が必要なのは、他チームと同じだ。

試合形式の練習で、右サイドから豪快なアタックを決めていたのが、山下史織さん。

 

 

41歳とチーム最年少で、熊本市と有明海をはさんだ天草出身。高校まで地元で育ち、結婚して市内に移り住んだ。ママさんバレーを始めたのは、子どもが4歳になった24歳のころ。続けているうちに高校までのバレーボールで味わった感覚を思い出した。

 

2年前に35歳以上の選手が出場できる九州大会の2部トーナメント初戦で沖縄に敗戦。レベルの違いを味わった。今年から2部の年齢制限が40歳以上になり、2年ぶりの雪辱を期して8月末にある県予選に臨む。セッターの岡山るみ子さん(45)とともに、攻めの2枚看板を担う山下さんの指先には、渋い色のネイルが。勤め人が多いチームメートと違って、山下さんの本業はネイルサロンの経営なのだ。

もともと好きなものが仕事になったことで、生活が充実。それとともに、竹崎監督によれば、プレーも急成長中だ。「爪はプレーの邪魔じゃないかとよく訊かれますが、バレーは意外と手のひら側しか使いません。ネイルも大事ですが、九州大会で『なにくそ』という思いが強くなったので、九州大会にはまた行きたいです」

九州男児の典型とも言われる熊本男を「肥後もっこす」と呼ぶのに対して、熊本の女性は「肥後猛婦」。何事にも熱心で自立心が旺盛という。何歳までバレーを続けるかという問いに対する答えは「80歳」(45歳)、「元気なうちは」(48歳)、「体力が続く限り」(40歳)。

70歳を超えても80歳を超えても現役の先輩たちの背を追って時間のやりくりをしながら働き、何歳までもバレーボールを追いかける。そんなたくましい女性たちが、火の国にいた。

 

 

 

取材・文

伊東武彦 1961年東京生まれ、サッカーマガジン編集長などを経て朝日新聞社スポーツ事業部でママさんバレーを担当。2013年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。23年7月より全国ママさんバレーボール連盟広報専任アドバイザーとしてママさんバレーの広報をサポート。